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「いま撃った男たちをつれてこい」2発の弾丸を受けながら…「五・一五事件」殺された犬養毅が吐いた“最期の言葉”の真実

『テロルの昭和史』#1

2024/01/20
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 令和4(2022)年7月8日に起きた安倍晋三元首相銃撃事件。今こそ、テロが連鎖した昭和初期に学び、私たちがどんな時代の曲がり角に立っているか見据える必要がある――。

 ここでは、昭和史研究の第一人者である作家・保阪正康氏が昭和テロリズムを読み解く『テロルの昭和史』(講談社)より一部を抜粋。1932年(昭和7年)5月15日に当時の内閣総理大臣・犬養毅が暗殺された「五・一五事件」襲撃時の様子を振りかえる。(全3回の1回目/続きを読む)

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犬養毅に放たれた1発目の銃弾は…

 昭和7年5月15日の夕方、海軍の青年士官と陸軍士官学校の生徒の一団が首相官邸を襲った。この日は日曜日であった。犬養毅首相は、官邸にいて体を休めていた。そこにテロリストの一団が侵入したのである。海軍士官たちは護衛の警官などにピストルを突きつけて、犬養の部屋の場所を尋ねる。しかし警官たちも簡単には明かさない。

 官邸の中は怒声やら悲鳴やらで混乱を極めていくわけだが、このあたりの混乱ぶりはその後の法廷などでも明らかにされている。そうした資料とは別に、作家の中野雅夫は戦後に決行者たちに話を聞き、それを基に『五・一五事件 消された真実(昭和史の原点3)』を著しているが、それによると襲撃時の様子は以下のようであった。

写真はイメージです ©AFLO

「台所の板のドアが半分あいている。

 三上〈卓、海軍軍人〉が板戸をあけてなかにはいると、内閣総理大臣・犬養毅が立っていた。

 犬養首相は、皿小鉢のおかれたテーブルに両手をついていた。かたわらに年配の女中と、黒服の男が呆然と立っている。犬養首相は、ネズミ色のセルの着物を着流し、頰骨のでたやせこけた顔に、白いヒゲをたらしている。(略)

 三上は二メートルの距離で、右腕をまっすぐのばし、銃口を犬養首相の頭にむけた。」

 この証言は、三上の側からの証言だったと中野は認めていた。三上はピストルの引き金を引く。しかし不発であった。このピストルはブローニングの5連発だが、送弾装置が故障していたために、一発ごとに弾丸を込め直さなければならなかったというのだ。三上はならば短刀でと思ったが、それだと死までに苦しむと考え直して、またピストルでと思い、弾丸を入れ直そうとしたという。