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《とにかく党に戻りたい》日本共産党「除名処分」の松竹伸幸氏が語った衝撃の“冷蔵庫事件”と党の論理

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党本部では冷蔵庫が禁止されていた

 松竹 火事を起こしたら困るという理由で党本部では冷蔵庫を置くことが禁止されていたはずなのに、別の部局に冷蔵庫があることがわかり、幹部に「私の部局にも置かせてほしい」と頼んだところ、「他部局と連絡を取っているのか。分派に繋がる行為だ!」と批判されました。

 戦前は、党員が特高警察の拷問に耐えかねて仲間の名前を喋ることで芋づる式に検挙され、1950年代には、路線対立で党が分裂しました。党が分派活動を警戒するのには、こうした歴史的な経緯もあります。

「佐藤さんと対談することに反対する人もいまして……」という松竹伸幸氏 ©文藝春秋

米原万里氏「組織が人を切る時は本当に残酷なものよ」

 佐藤 共産党から除名された知人に、米原万里さんがいます。彼女の父米原昶(いたる)さんは共産党の衆議院議員だったにもかかわらず、彼女は学生時代、規律違反で処分された東大院生の伊里一智に関わったとして査問を受けた。伊里氏の処分を先導したのは志位さんです。2002年に私が逮捕される前日、米原さんから「いつまで外務省に忠誠を誓うの? 組織が人を切る時は本当に残酷なものよ」と電話をもらいました。

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 松竹 私が民青の大会の通訳団に入った時、米原さんもいました。民青の幹部が非合理的な方針を出すので、私が「おかしい」と訂正したら、「貴方は見どころあるわね」と褒められました。「ところで結婚しているの?」とも言われたので、慌てて「結婚しています」と(笑)。

 佐藤 2006年に党本部を退職されたのは、志位さんとの意見の相違が原因ですね。

自衛隊をめぐって志位さんから物言いが

 松竹 意見の相違が表面化したのは、2005年春、私が党の月刊誌『議会と自治体』に「九条改憲反対を全国民的規模でたたかうために」という論文を寄稿した時です。改憲問題が日本政治の焦点となってきた局面で、国民世論は「九条も大切だが、自衛隊もリスペクトしている」と分析し、「今後、共産党は九条支持派と自衛隊擁護派を繋いで、護憲の多数派を作る重要な役割を果たせるのではないか」と主張しました。

 佐藤 しかしこの論文に、志位さんから物言いがついた。

 松竹 「侵略されたら自衛隊で防衛する」という党の立場は、「安保条約が廃棄されて以降の方針で、それ以前にも自衛隊を使うという考えは間違いだ」というものでした。そこで、雑誌の次号に自己批判文書を載せるように求められたのです。

 しかし私は、「自衛のためでなく自衛隊を使うのは間違いだが、侵略された場合は、安保条約の有無に関係なく自衛隊を使うのが当然だ」という主張は変えずに、「自衛隊が違憲だと論文中に書いていないこと」についてのみ自己批判する文章を雑誌に載せて、党本部を退職しました。