5両のトラックをビーチに降ろしたLCACは次なるトラックを積むため、直ちに母艦「おおすみ」に帰っていき、沖合に待ち構えているもう1機のLCACがすぐにビーチにすべりこんでは、またトラックを揚陸させていく。
結局13両の土嚢を積載した国交省のトラックは信じられんような傾斜を油圧ショベルの力を借りながら無事国道249号までよじ登り、LCACによる孤立集落への車両揚陸オペレーションは午前中で終了した。
能登半島震災で得られた教訓
国道249号は能登半島の周りをぐるっと回る、住民にとってはまさに大動脈である。それが今や土砂崩れや地割れでズタズタなのである。孤立集落へのピンポイントでの重機投入という今回のオペレーションでその国道249号線の復旧は加速度的に進み、結果復興にも大いに助けとなる。国道の維持、管理は国交省の管轄である。しかし今は平時ではない。有事である。国交省やの防衛省やの縄張り意識は復興の足をひっぱるだけである。ここは官庁の垣根を越え、いや官民ともに、いやいや日本人が一丸となり、この国難に当たるべきである。
今回のオペレーションで、いや能登半島地震で得られる教訓があるとしたら、日頃の訓練がいかに重要かつ貴重な機会かを再確認させてくれたことであろう。そんな訓練を重ねることにより実際の災害現場で役立つ知識や技術、ノウハウが得られるのである。
日本人の多くは1995年1月17日午前5時46分そして、2011年3月11日午後2時46分どこで何をしていたか覚えているはずである。いや、今後も絶対に忘れることはないだろう。そしてこれからは新年を迎えるたびに犠牲になった能登の民のために手を合わせ、忘れてはいけない教訓を再認識するはずである。
一日も早く能登が完全復興することを信じてやまない。