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「緊張してないんですか」

「ぜんぜん緊張せえへん。いつもどおり」

 そう言いながら、万城目氏はきちんと記者会見用の小綺麗な服を用意しているのだ。どこまでが本気で、どこまでが韜晦なのか分からない。

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©文藝春秋

 やがて綿矢さんがやってきて、登美彦氏たち三人は「脱出ゲーム」に挑んだ。ゲームの性質上、我々の健闘ぶりを描写できないのが残念である。密室を調べまわり、ああでもないこうでもないと暗号を解き、一時間半のゲームを終えると、すっかり全員がヘトヘトになっていた。その疲労を回復するためには「待ち会」よりも前に、「資生堂パーラー」でいちごパフェを食べる必要がある。

「ははあ! あれが『新喜楽』ですか」

 銀座へ向かって歩いていると、ふいに万城目氏が前方を指さし、思わせぶりな声で、「奇遇やなあ」と言った。その指先に目をやると、交差点の角にちょっと古風な建物がある。しかし登美彦氏はピンとこなかった。綿矢さんにいたっては、その向こうにある「すしざんまい」の看板を眺めていたのである。万城目氏に教えられて、ようやくその建物こそが芥川賞・直木賞の選考が行われる料亭「新喜楽」だと分かった。

「ははあ! あれが『新喜楽』ですか」

「へー!」

 登美彦氏と綿矢さんが感心していると、

「自分ら、さすがにそれはどうかと思うで」

 と、万城目氏は呆れた。

 そうして登美彦氏たちは、今まさに選考委員が激論を交わしている「新喜楽」のとなりをノコノコ通りすぎて、銀座の資生堂パーラーへいった。

 肝心の「待ち会」は始まってもいないのに、三人ともすっかり口数が少なくなっていた。資生堂パーラーで合流した上田誠氏は他の三人の憔悴ぶりに、「ゲーム中にケンカでもしたのか?」と思ったらしいが、単純に疲れていたのである。

万城目氏が次のゲームを用意していたとき…

 午後五時半、ようやく新橋駅前の「ルノアール」へ入った。

 現地でひとり待っていた担当編集者の柘植氏は、登美彦氏・綿矢氏・上田氏がぞろぞろやってきたのを見て、「え! なんで?」と驚いていた。

 てっきり万城目氏と二人で待つものと思っていたらしい。

「どうして前もって教えてくれないんですか!」

 柘植氏が言っても、万城目氏はへらへらしている。

 新橋駅前の古いビルの一角にある会議室は殺風景だった。長いテーブルのまわりに椅子が置いてあり、部屋の端にホワイトボードが置いてある。

 それから選考結果が分かるまで、登美彦氏たちは「ルノアール」の会議室ですごした。UNOで激闘を繰り広げ、綿矢さんが買ってきてくれたおにぎりとからあげを食べた。しかし選考が長引いているのか、なかなか電話はかかってこない。これまでに何度か「待ち会」をした経験がよみがえってきて、登美彦氏は手のひらにイヤな汗をかいてきた。