そして七時すぎ、綿矢さんがちょっと席をはずして、万城目氏が次のゲームを用意していたとき、電話が鳴った。登美彦氏たちは息を呑んだ。
すかさず上田誠氏が動画の撮影を始め、万城目氏は電話を取った。
「はい。ええ、そうです。はい」
万城目氏のやりとりは淡々としていた。
正直なところ、登美彦氏は「落選か」と思った。これからみんなでゲームをして、新橋の居酒屋で残念会を開き、明日には奈良へ帰ることになる。そしてしみじみとしたブログを書いて万城目氏を慰めてあげることにしよう……。
ところが万城目氏が、
「あ、受けます」
と言ったとたん、部屋の空気が一変した。
この瞬間、万城目学氏は直木賞作家となったのである。
登美彦氏は思わず「マジか!」と叫んだが、万城目氏が電話を続けているので声を押し殺さねばならなかった。担当編集者の柘植氏は、「よし!」「よし!」と小さく叫び、何度も床を踏みしめながらガッツポーズをする。それが心底嬉しそうであることに胸を打たれた。
「今、新橋なんで二十分ぐらいでうかがえると思います」
そう言って、万城目氏は電話を切った。
登美彦氏たちが口々に「おめでとうございます」と万城目氏に声をかけているところへ、ドアが開いて綿矢さんが戻ってきた。
その場にいる全員が叫んだのは言うまでもない。
「なんで一番肝心なときにいないんですか、綿矢さん!」
本気で「受賞するわけない」と思っていたのだと分かった
そこから先はずっと夢の中のできごとのようであった。
綿矢さんが「祝❤直木賞」と書いたホワイトボードの前で記念撮影をしてから、おそらく新橋界隈でもっとも高揚感に包まれた集団は喫茶室「ルノアール」をあとにすると、タクシーに分乗して丸の内の東京會舘へ向かった。
あまりの事態の急変ぶりに、
「脱出ゲームをしてたのが遠い昔みたいや」
と、綿矢さんは言ったが、登美彦氏も同感だった。
面白いのは、受賞の知らせを受ける前後で、万城目氏の雰囲気がはっきりと変わったことである。その変身はあまりにも鮮やかだったので、万城目氏は韜晦でもなんでもなく、本気で「受賞するわけない」と思っていたのだと分かった。
東京會舘で開かれた記者会見は、登美彦氏も後ろで見学していたが、万城目氏の話しぶりは堂々としていた。さすが幾多の講演をこなして鍛えてきただけのことはある。上田誠氏も「老獪!」と笑っていた。
何はともあれ、万城目学さん、受賞おめでとうございます。
心よりお祝い申し上げます。
ちなみに、森見登美彦氏の新作『シャーロック・ホームズの凱旋』は、一月二十二日発売であります。
(初出:「この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ」)