奇想天外な世界観に癖の強いキャラクターで読者を魅了する森見登美彦さん、3年半ぶりの新刊は『シャーロック・ホームズの凱旋』。あの名探偵が主人公ならばと、華麗な推理と心躍る冒険を想像した読者は、その期待を見事に裏切られる。本作のホームズは、「天から与えられた才能はどこへ消えた?」と嘆くばかり。グータラと人生を空費しているとワトソン氏も苦り切った顔だ。
「どんな難事件も解決する天才がスランプに陥る。そんなダメなホームズ、面白そうじゃないですか」と、森見さんはほくそ笑む。
「探偵は自分の外の現実に起きる謎を解く存在ですが、スランプといういわば自分の内なる謎を解決できるのか、というファンタジーです。ホームズが主人公でも、ミステリーには絶対しないと決めていました。小学2年生で初めてホームズを読み、ドラマも台詞を暗唱するほど好きで、ずっとその世界に馴染んできた。だからこそ中途半端なパスティーシュにはしたくなかった」
本作のホームズも一時活躍したが、読者にはお馴染みの「赤毛連盟事件」で、“大失態”を演じ、〈以来、シャーロック・ホームズは寺町通221Bに立て籠もるようになった〉。……寺町通221B? そう、彼の住所はロンドン・ベーカー街ではなく、「ヴィクトリア朝京都」寺町通なのだ。
「ホームズが住む場所は、二条通と丸太町通の間の寺町通のお洒落で賑やかな雰囲気に似合うように思って。何の説明もしてないですけど(笑)。原作者のコナン・ドイルが生きたヴィクトリア朝ロンドンは、いまの京都と似ていると思うんです。古い歴史があって、いろんな人が来ては去っていく都市。規模感も合っていて、大劇場や警察署など共通の施設もあり、鴨川を渡るとか大文字山に登るとか、自分の感覚で書きました」
ホームズのスランプの原因を探るワトソンは、ホームズが決して語ろうとしない、12年前の少女失踪事件を疑う。洛西、竹林に囲まれた洋館から消えた少女が見つからず、迷宮入りした事件だ。ホームズは、『竹取物語』の古写本にあったという謎めいた問答文をノートに記していた。
「『竹取物語』は、かぐや姫が、月に象徴される彼岸からこちら側に来て、また帰っていく物語で、異世界への憧れと怖さがある。昔から好きだったのですが、この小説の構想にフィットしたんです。和風ホームズだからこそ出来る物語にしようと思いました」
ワトソンが「事件に取り組め」と叱咤するほどに、〈現実逃避しているのは君の方だよ。そうやって僕を責め立てて、自分自身の問題から目をそらしているのさ〉とホームズには悪態をつかれ、妻メアリには愛想をつかされる。
「詭弁を弄するホームズと、僕の小説によく出てくる屁理屈を言うひねくれ者がうまく融合して、ふたりの掛け合いは自然に出てきましたね。ホームズがスランプになって、原作では存在感の薄いキャラクターたちが浮き上がり、ぶつかり、隠し事をしたりと変化していくのが楽しかった。原作とは違う群像劇になりました」
異世界のホームズ譚に挑んで、「ワトソンなくしてホームズなし」と改めて感じたという。
「時に心配し、時にうざがり、それでも放っておけない。ワトソンを通し、ホームズが生き生きと立ち上がってくる。書かれる人間と書く人間の関係性にも注目してほしいです。……繰り返しますが、ミステリーの手法で謎は解けず、ファンタジー的に謎を解く小説であることをお忘れなく(笑)」
もりみとみひこ/1979年、奈良県生まれ。2003年、『太陽の塔』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビュー。06年『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞、10年『ペンギン・ハイウェイ』で日本SF大賞、19年『熱帯』で高校生直木賞を受賞。『四畳半神話大系』『有頂天家族』『夜行』ほか著書多数。