わたしにしか奏でられない、明るい音を追求したい
それでも、思うのです。明るい音楽と悲しい音楽、どちらがより高尚で真剣かなんて区別はナンセンスではないでしょうか。当然ながらどちらも等価で、それぞれによさがあるでしょう。
その方の人生を反映させたような、切実で悲観的な演奏に心打たれることもあります。そのような素晴らしいピアニストがいらっしゃるからこそ、わたしはわたしにしか奏でられない、明るい音を追求したいと思うのです。
テルアビブに滞在中、当代を代表するイスラエル人のヴァイオリニスト、ギル・シャハムのブラームスのヴァイオリン・ソナタを生で聴く機会に恵まれました。それは、あまりに幸せな経験でした。彼は、音を奏でるいまこの瞬間を心から楽しんでいるように見えました。
ああ、やっぱりこれでいいんだ─そう思えて、わたしはなんだか安心したのです。
わたしをこの世界へ導いてくれたモーツァルト、しかもピアノ・ソナタ全曲集を、初めての出逢いから十数年を経てリリースすることができるというのは、やはりわたしにとって特別な意味を持つことです。
モーツァルトが生きた時代には、フォルテピアノ(18世紀に開発された、現代のピアノの祖となる楽器)の性能上、彼の意図した音が十全には実現できなかったでしょう。それでもなんとか自分の頭のなかに鳴る音楽を現実のものにしようと、モーツァルトは創意工夫を重ねたはずです。ピアノという楽器が大きな進歩を果たした時代に生きるわたしたちは、偉大な作曲家の目指した音を実現し得る立場にいるのですから、なんとしても彼の見た夢を現実としていきたいものです。
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記事の全文は、藤田真央さんの初著作『指先から旅をする』(文藝春秋)に収録されています。