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離婚後も双方の親が子どもの養育に関わるという「共同養育」。Tさんも夫も、初めて耳にした言葉だった。

支援がスタートしても、面会交流は当初、Tさんにとって大きな負担だった。夫が日程を直前に変えてきたり、突然自宅で息子に会いたいと言い出したり。それらの希望を受け入れるのか受け入れないのか、子どもにとっては何がいいのか毎回悩んだ。

面会交流の数日前からは自身の心もガードしなければならない。やっと終わったと思うとまたすぐ巡ってくる、の繰り返しで疲れ果てる日々。その心のモヤモヤ、イライラを支援団体の担当カウンセラーにぶつけ、じっくり話を聞いてもらった。気持ちを整理し、客観的な立場のカウンセラーを通して思いを伝え合うなかで、夫からは徐々にTさんへの配慮の言葉が聞かれるようになっていった。

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「夫もちょっとずつ変わってくれているんだ、それなら私も変わらなきゃ、子どものために夫は将来絶対力になってくれるはずだから、って、少しずつ思うようになっていって」。Tさんの固く閉ざされた心も少しずつ解け始めていった。

夫からの思いがけない言葉

調停が始まってから約2年。次の大きなターニングポイントがやってきた。息子の親権はTさんが持つことや、養育費、面会交流の頻度など、離婚条件がほぼ固まった時期だった。

カウンセラーの勧めで夫と一緒に夫婦カウンセリングを受けることになった。家を出てから初めて夫と直接向き合う場。ちゅうちょしながら足を運んだTさんは、ずっと心の底に沈殿していた、夫の「死ねば」発言について、つらかった胸の内を夫にぶつけた。

すると、夫からは思いもかけず「ごめんね」との謝罪の言葉が返ってきた。

その一言を同じ空間のなかで直接聞けたことは大きかった。Tさん自身からも、胸につかえていた「子どもを連れ去ってごめんね」の一言が自然と出てきた。大きな雪解けの瞬間だった。

それからの展開は早かった。末期がんを患った義父に息子を会わせてあげたい、との夫の願いをTさんは受け入れ、3人で向かうことができた。