終戦直後、出版社が乱立した。
しばしば「雨後のたけのこ」と形容されるほどの乱立ぶりだった。本が読めない時代が終わって、新刊書は、どんなものでも飛ぶように売れたのである。
もちろん一過性の現象。こんにち生存しているのは数社にすぎない。その生存組のひとつ、人文、社会、自然科学等の良書を手がけるみすず書房がどのように創立され、どのように戦後の困難をきりぬけたかを回想するのが本書である。タイトルの小尾俊人(おびとしと)とは、みすず書房の創立者なのだ。
小尾がみすず書房を創立したのは、昭和二十年。
敗戦の年である。まだ二十三歳だったけれども、たまたま訳者である詩人・片山敏彦を知ったことから『ロマン・ロラン全集』全七十巻という壮大なプランを立てた。ロランはフランスの小説家で、ヒューマニズムで名声が高かった。これが売れて一息ついて、その後はおもに専門書の翻訳出版をつづけた……などと言うと順風満帆なようだけれども、ロランの遺族は莫大な印税を要求するし、手形事故も発生した。小尾はいっときは月二割(!)の利息で金を借りようとしたほどだったが、何とかきりぬけた。どうして彼は生きのこれたのか。その理由を考えるとき、ひとつ印象的なエピソードがある。小尾はいつも通勤時に、駅でスポーツ紙を買っていたというのだ。
みすず書房とスポーツ紙とはびっくり仰天のとりあわせだが、こういう世間の空気を感受する柔軟な努力あってこそ、彼は要所でハルバスタム『ベトナム戦争』など、高級ながら「稼げる」本を刊行し得たのだ。そんな気がしてならない。本書の著者は小尾の長年の仕事仲間で、小尾の内心に寄り添うようにして書いているため、こっちもつい推断をたくましくしてしまう。心あたたかな社史の本なのだ。
巻末には小尾の日記や年譜等をおさめる。みすず書房創立七十年記念出版。
みやたのぼる/1928年東京生まれ。雑誌「近代文学」、早川書房、タトル商会を経て、日本ユニ・エージェンシー創設、元代表取締役。著書に『翻訳権の戦後史』『朱筆』『敗戦三十三回忌―予科練の過去を歩く』など。
かどいよしのぶ/1971年生まれ。2006年『天才たちの値段』で単行本デビュー。16年『家康、江戸を建てる』が直木賞候補に。