「屋根付き橋」の本当のルーツは…?
弓削神社は1396年に創建され、当初から橋はあったとされている。そのため、橋そのものは弓削神社のほうが歴史が古いことは間違いない。しかし、屋根がいつ付いたかの記録がないため、御幸の橋が南予地方で最古の屋根付き橋とされているわけだ。
はたして、実際に、南予地方における屋根付き橋のルーツは御幸の橋なのか、それとも実は弓削神社の太鼓橋なのか、気になってきた。
近所の方にお話を聞くうちに、詳しい人がいると教えられ、訪れたのが岡本実男さん(77)のお宅だった。早速、弓削神社と太鼓橋のことをうかがう。
太鼓橋は、地元では“弓削の橋”とも呼ばれていて、昔からどんなに偉い人でも馬から下りて橋を渡っていたという。橋の上で宴会のようなことはやらなかったが、子供たちの遊び場になっていた。夏になると小学生は橋から池に飛び込んでいたが、中学生になると屋根の上から池に飛び込んでいたそうだ。
橋は全て地元の材料だけで造られていて、これまで地域の人たちで維持管理してきた。大規模な改修になるとさすがにクレーンだけは業者に頼むが、それ以外は全て住民による人力で行ってきたらしい。
ちょうどこの年、橋脚を作り替える予定があるとのことで、橋脚の図面も見せていただいた。
橋は松、屋根は杉皮で葺かれ、孟宗竹で押さえられている。橋脚には栗の木が使われるが、畑の栗ではダメで、山に自生している栗でなければならないという。橋脚は常に水没しているため、畑の栗では柔らかく長持ちしないとおっしゃっていた。
また、弓削神社では“日参り信仰”が今も行われていて、町内の氏子さんが日替わりで365日、必ず誰かがお参りをしている。とても興味深い話をたくさん聞いたが、橋の屋根はずっと昔から付いているので、いつ付いたかは分からないということだった。
この日は時間の都合もあってこれで引き上げたが、その後も屋根付き橋のことがずっと気になっていた。そして2024年1月、再び愛媛を訪れた。まさか屋根付き橋のため、半年の間に岐阜から愛媛まで3回も行くことになるとは……。