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田んぼと数軒の家屋しかないのになぜ…!? 全国的に珍しい「屋根付き橋」が愛媛の山間に“集中建設”された“納得の理由”

田んぼと数軒の家屋しかないのになぜ…!? 全国的に珍しい「屋根付き橋」が愛媛の山間に“集中建設”された“納得の理由”

2024/02/04
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「屋根付き橋」の本当のルーツは…?

 弓削神社は1396年に創建され、当初から橋はあったとされている。そのため、橋そのものは弓削神社のほうが歴史が古いことは間違いない。しかし、屋根がいつ付いたかの記録がないため、御幸の橋が南予地方で最古の屋根付き橋とされているわけだ。

 はたして、実際に、南予地方における屋根付き橋のルーツは御幸の橋なのか、それとも実は弓削神社の太鼓橋なのか、気になってきた。

 近所の方にお話を聞くうちに、詳しい人がいると教えられ、訪れたのが岡本実男さん(77)のお宅だった。早速、弓削神社と太鼓橋のことをうかがう。

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当時の写真を見せてもらいながら弓削神社と太鼓橋の歴史について話を聞く

 太鼓橋は、地元では“弓削の橋”とも呼ばれていて、昔からどんなに偉い人でも馬から下りて橋を渡っていたという。橋の上で宴会のようなことはやらなかったが、子供たちの遊び場になっていた。夏になると小学生は橋から池に飛び込んでいたが、中学生になると屋根の上から池に飛び込んでいたそうだ。

弓削神社の太鼓橋の屋根改修工事の様子 

 橋は全て地元の材料だけで造られていて、これまで地域の人たちで維持管理してきた。大規模な改修になるとさすがにクレーンだけは業者に頼むが、それ以外は全て住民による人力で行ってきたらしい。

 ちょうどこの年、橋脚を作り替える予定があるとのことで、橋脚の図面も見せていただいた。

橋脚の図面。紙が裏紙でくしゃくしゃなのは少し気になるが、手書きながらも的確に画かれていた

 橋は松、屋根は杉皮で葺かれ、孟宗竹で押さえられている。橋脚には栗の木が使われるが、畑の栗ではダメで、山に自生している栗でなければならないという。橋脚は常に水没しているため、畑の栗では柔らかく長持ちしないとおっしゃっていた。

 また、弓削神社では“日参り信仰”が今も行われていて、町内の氏子さんが日替わりで365日、必ず誰かがお参りをしている。とても興味深い話をたくさん聞いたが、橋の屋根はずっと昔から付いているので、いつ付いたかは分からないということだった。

弓削神社

 この日は時間の都合もあってこれで引き上げたが、その後も屋根付き橋のことがずっと気になっていた。そして2024年1月、再び愛媛を訪れた。まさか屋根付き橋のため、半年の間に岐阜から愛媛まで3回も行くことになるとは……。

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