全国を見ても他に例がない「屋根付き橋」の密集具合
また、全国的に見ても珍しい屋根付き橋が、内子町だけで5橋もある。さらに、内子町と隣接する大洲市にも屋根付き橋が8橋もあるというのだ。
大洲市の屋根付き橋は、全てが河辺川とその支流にあり、「浪漫八橋」と名付けられている。内子町と大洲市を含む南予地方に、合わせて13もの屋根付き橋があることになる。これほど屋根付き橋が密集しているのは、全国を見ても他に例がない。その大部分は、人家や畑に行くために地元の人たちが利用している生活橋。
いったいなぜこの地域に屋根付き橋が集中して建設されたのか……。
その謎を探るべく、同地域にある他の橋も見てみたいと思うようになっていた。そんな時、度々出演しているCBCテレビ「道との遭遇」という番組から撮影の話が舞い込み、ロケを兼ねて2023年10月、2度目の訪問を果たした。まずは内子町にある下の宮橋を訪れる。
これは、対岸の田畑へ行くための橋で、距離の短さに反して立派な屋根が付いている。新しいと思ったら、1994年完成とある。
内子町にある5橋のうち、3本は平成に架橋されている。脈々と屋根付き橋の文化が受け継がれているように感じた。
次に向かったのは、内子町で最も歴史が深い弓削神社の太鼓橋だ。太鼓橋というのは形状からくる一般名称のはずだが、ここでは固有名詞として使われている。
これは生活橋ではなく、池に架かる神社の神橋なのだが、その風貌に心を奪われた。過去に見てきた神橋とは全く異なり、田丸橋に通じるか、それ以上に簡素な造りがとても良い。距離が長く、途中3本の橋脚に支えられ、弓なり状にゆるやかに湾曲している。橋脚も全て木で組まれている。
ちょっと不安を感じる見た目だが、渡ってみると安定している。少し傾いている気もしたが、不安はなかった。橋の向こうには鳥居があり、その先が弓削神社だ。瀬戸内海に浮かぶ弓削島にある弓削神社の分社として、室町時代の1396年に創建された。その際、神社を城に見立て、正面を堀のごとく池にして、太鼓橋が架けられたともいわれている。
神社の創建当初から橋が架かっていたのなら、南予地方で最古の屋根付き橋となり、ここから地域に屋根付きの橋が広まっていったのではないかと考えられる。
しかし、愛媛県教育委員会の資料には、大洲市にある御幸の橋が1886年の架橋で、現存する屋根付き橋では最古と書かれていた。