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〈紅白で話題に〉キャンディーズを追い続けた男性が“45年ぶりの紙テープ”を投げるまで「紅白で“親衛隊”と紹介されていましたが、僕たちは…」

〈紅白で話題に〉キャンディーズを追い続けた男性が“45年ぶりの紙テープ”を投げるまで「紅白で“親衛隊”と紹介されていましたが、僕たちは…」

2024/02/11

genre : ライフ, 社会

「当時、ライブ会場に来ていたのは大学生や高校生の男性ファンがほとんどで、キャンディーズのメンバーより上の世代はほとんどいなかったですね。田舎の高校生だった僕からすると、6歳年上のランは“都会のかっこいいお姉さん”でしたが、当時の時代状況を思い返すと『社会人になってまでアイドル歌手に熱中しているのは恥ずかしい話』といった空気感があったように思いますね」(石黒氏)

取材当日に持参してくれたキャンディーズグッズ、蘭グッズたち

全キャン連の会員数は「僕は“300万人”と言っています(笑)」

 グループの人気が高まるにつれ、渡辺プロ運営のファンクラブとは別に、ボトムアップの自主的なファン組織が誕生。1975年に蔵前国技館で開催された「10000人カーニバルvol.1」の実行委員だった関東のキャンディーズファンの呼びかけで「全国大学キャンディーズ連盟」が始動。その後「大学」の呼称が外れ、「全国キャンディーズ連盟」となる。

「僕は地元の『北陸支部』に所属していましたが、全キャン連は商業的に管理されている組織ではなかったため、正確な会員数や規模などは不明です。しかし、解散時に5万人のファンが後楽園球場に実際に集まったわけですから、30万人くらいは会員と呼ばれる人がいたとしても、まったくおかしくない。ちなみに僕は問われた際は“会員数300万人”と言っています(笑)」(石黒氏)

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当時の全キャン連は、全体で何人いるかもわからなかった。全国9支部の会員証のうち4枚

「全キャン連」の名前がいまも伝説的に語り継がれている理由のひとつに、まだ携帯やネットがなかった時代、横断的な情報共有によって統一された応援スタイルを完成させ、それを緻密に実行したという画期性がある。

石黒さんが作成したコールパターンのプリントの一部

 中央の主要メンバーは、曲ごとの応援パターンを創作。コール、かけ声、手拍子に紙テープを投げ入れるタイミングなどを工夫した。そして、応援パンフを作って配ったり、それを地方に郵送するなどして決定事項を周知徹底することによって、アーティストと観客が完全に一体化した、超絶な熱気のステージを生み出すことに成功した。これは、日本における「ドルオタ」の生きざまの源流になったと言われる。

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