「紅白でも“親衛隊”と紹介されていましたが…」
「紅白でも“親衛隊”と紹介されていましたが、僕たち、全キャン連や全ラン連は、出待ち入り待ちはしてなかったし、それとは違います。また、事務所主体の“ファンクラブ”でもありません。特にライブに注力して本人たちに喜んでいただく、自主的な応援組織なんです。
それから、“推し活”の元祖と言われることもありますが、その言葉は方向が違いますね。主体は自分ではなく彼女たち3人ですから、推すなんて不遜ですよね。“応援させて頂いてありがとうございます”ということなのです。あと、3人でステージに上がっているわけですから、自分の好きな1人だけを応援するというのは失礼だし許されない。必ずキャンディーズとして応援し、全員に喜んでもらう。かつての全キャン連はそういう決めごとを、必ず守るようにしていました」(石黒氏)
彼らが現在のアイドルファンからも敬愛を集めているのは、「何をしたら本人が喜ぶか」という徹底した利他思考のもとに行動し、それを最後まで貫いたある種の純真性が、「ファン道」のあるべき姿と評価されているからだろう。
「僕らは、ライブを観に行く、聴きに行くのではなく、参加するという気持ちで臨んでいました。ただ歌を聴くだけなら、テレビでもこと足りる。それと大事なこととして、バラバラと自分勝手に応援するのは烏合の衆です。一緒に会場にエネルギーを満たし、そこにいる全員が燃え尽きる。そんな熱い空間が好きでした」(石黒氏)
石黒氏は後年、伊藤蘭本人に直接インタビューする機会を何度か得ている。同時代に生き、「ステージに立つ側」だった伊藤蘭からはこんな言葉を引き出した。
<あの頃は、なんだろう、熱いですよね。温度がいまの若い人と全然違う。自分にとっても激流の時代だったかな。自分もその流れのなかにいる感じで。>(『週刊昭和34号』朝日新聞出版、2009年)
聞き手をつとめた石黒氏が振り返る。
「ああ、やはりそうだったのかと。僕自身、なぜあそこまで熱くなれたのか……言葉で明確に説明するのは難しいですが、自分への血判状みたいなものだったのかなと思います。そして、ここまで好きになって、ここまで青春を賭けてきたのだから、解散した後も永遠にそんな自分を絶対に裏切っちゃいけない。ずっとそういう気持ちで生きています」
石黒氏の腕には、いまもかすかな傷跡が残っている。高校1年の夏休み、カッターで右腕に刻んだ<RAN>、そして左腕には<キャンディーズ>。血盟団と化した青年の誓いはその後、いささかも揺らぐことはなかった。