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東京駅から約1時間半…JR外房線“ナゾの途中駅”「茂原」には何がある?

“千葉より東”には何がある?#1

2024/02/12

genre : ライフ, , 社会, 歴史

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 国道からさらにもう一筋南を走る八千代中央通り。ここが、茂原の中心市街地を東西に貫くメインストリートなのだろうか。そもそも道幅自体が国道よりも広いし、クルマの数は圧倒的。

 そしてロードサイドには飲食店をはじめとした店舗が並んでいる。もちろん全部クルマでやってくることを想定している店構え。チェーン系が少ないのが気にはなったが、やっぱりちゃんとコメダ珈琲店もあるくらいだから、文句のつけようのないメインストリートだ。

古い地図と照らし合わせるとこのあたりは…

 古い地図と照らし合わせると、もともとは国道のほうがメインストリートだったようだ。まだまだ駅前の開発が進んでいなかった時代から、国道沿いに市街地が形成。その中心は国道をさらに西に行って北に曲がったあたりで、茂原公園という公園から東側一帯が、茂原の町の核だった。

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 いまもそのあたりまで市街地は続いていて、茂原公園には藻原寺というお寺もある。茂原はもともと藻原と書いたといい、その名を持つお寺なのだから、きっとこの地域の中核を担うお寺なのだろう。すでに鎌倉時代には藻原寺を中心とした集落が形成されていたという。

 さらにもとを辿ると平安時代には興福寺の藻原荘という荘園(簡単に言えば領地)だった。それをベースとして門前町が広がり、江戸時代には4・9の日に定期市が開かれるようになる。つまり、周囲の農産物や海産物が集まる町でもあったようだ。

 いわば、藻原寺を中心として開かれた小さな町、というのが茂原の町だ。もとより城下町だったことがあるわけでもなく、申し訳ないですが東京からも近いとはいえない。そんな微妙な外房の町のひとつ、といったところである。