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お寺の門前町を変えた「600年分の天然ガス」

 お寺の門前町、そして定期市が開かれるだけだった房総の町が、なぜ“都市”になったのか。それは、京葉線の通勤快速のおかげでベッドタウンになって……というのも間違いではないだろうが、大きなきっかけは1930年代だ。1935年に大多喜天然瓦斯が茂原に置かれ、周辺に広がる天然ガス田の開発がはじまったのだ。

 茂原に眠る天然ガスは、日本一。なんでも、600年分の天然ガスが埋蔵されているという。これは日本一どころか世界屈指の規模だとか。そういうわけで、昭和の初め頃からはじまった天然ガス田の開発を原動力に、資源都市、そして工業都市として発展していった。茂原駅周辺の都市化も、むしろこうしたことが背景になったようだ。

 

 また、戦時中には茂原駅の北側に海軍の飛行場が建設されている。米軍が本土に上陸するとすれば九十九里、ということでそこに近い茂原に飛行場が建設されたのだろう。そのおかげで戦争末期には規模は小さかったものの、空襲被害もあったようだ。

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 飛行場は戦後になって払い下げられて、いまは三井化学の工場になっている。この工場もまた、天然ガスが眠る資源都市・茂原ならではといっていい。

 茂原の駅前を歩き終え、そろそろ東京に戻ろうかと思う。そのためには、やっぱりまた京葉線の快速に乗って……。と、地図を眺めていたら、すぐ近くにもうひとつ行くべき場所が見つかった。茂原からとんぼ返りしてまたあの東京駅の長すぎる通路を歩くのも嫌なので、ちょっとだけ、寄り道をしてからかえることにしよう。