英国の軍人が身内の仇を討つため占領下のニッポンに単身乗り込んできた。この物語は「ピカレスク・ロマン」の系譜を引く特異な作品と言っていい。日本では「悪漢小説」と訳されるが、ここでいう“悪漢”とは常の盗賊や詐欺師ではない。時の権力に抗って世間をあっと言わせるアウトサイダーなのである。
『1947』の主人公、英国陸軍のアンダーソン中尉は、富豪の息子なのだが、父が使用人の女性に産ませた庶子だった。ビルマ戦線で日本軍に処刑された異母兄の復讐のため、廃墟の東京に降り立った。不当に兄を斬首した軍人どもを始末し指と耳を持ち帰れば、家名と財産を引き継げる。父がそう約束している。
軍国主義の徹底解体から反共の砦へ。米ソの冷戦が深まりゆく1947年、GHQ・連合軍総司令部は対日政策の舵を切りつつあった。いましばらく潜んでいれば逃げ切れる――。捕虜虐待の罪で追われるB級戦犯の容疑者らは、国際政局の潮目の変化を察していた。いまこそ奴らを殺らなければ。アンダーソン中尉はコルトM1911とブローニング銃だけを頼りに、さしたる援軍も情報もないまま標的に迫っていく。
そんな狙撃手の前に立ちあらわれたのは、GHQ内の宿敵、日本の民主化を進める民政局と反共の諜報組織、参謀第二部だ。彼らはそれぞれに右翼、やくざ、警察権力を傘下に抱え、或る者は中尉に復讐をそそのかし、或る者は隠微な妨害工作を展開する。
中尉の異母兄を処刑した首謀者の旧陸軍少佐は、かつて米国の共和党大統領が交わした「日米密約」の文書を懐にしてGHQの庇護を受けている。占領当局は中尉に文書を奪回させ、少佐を抹殺させようとも仕向ける。スナイパーが踏み込んだ闇は深くて暗かった。
主人公が英国の士官であり、相手も諜報世界の住人なら、怜悧な“インテリジェンスの戦い”が繰り広げられるはずだ。だが、主人公の孤独な戦いは冒頭から徹底してバイオレンスに貫かれている。鉄拳と銃が織りなす“ブルース・リーの世界”なのである。
昨日まで日本軍という権力機構の深奥で戦略物資の隠匿や阿片の流通に手を染めていた軍人たちはいま、GHQという新たな支配者に取り入って医薬品の横流しで金を懐にする。汚れた富に群がる人間模様がリアルに描かれている。
「日本にはある種の異様な空気が漂っている。敵意なき笑顔と従順さで包み込み、すべてのものを変質させてしまう空気が――」
英国から降臨した戦犯狩りもそんな雰囲気にいつしか浸かって“不思議の国”の魔力に搦めとられそうになる。頁をめくっているうち、占領期のニッポンに思わず誘い込まれてしまう。その果てに、いまの保守政党が占領期の立党に際して手にした黒い資金の秘密も垣間見ることになるだろう。
ながうらきょう/1967年生まれ。埼玉県出身。出版社勤務を経て、放送作家に。その後、闘病生活を送り退院後に初めて書き上げた『赤刃』で2011年に小説現代長編新人賞。2017年に『リボルバー・リリー』で大藪春彦賞を受賞。他に『アンダードッグス』など。
てしまりゅういち/作家・外交ジャーナリスト。元NHKワシントン支局長。著書に『ウルトラ・ダラー』『鳴かずのカッコウ』など。