「性加害問題」という言葉を連日見聞きする。この原稿を読むあなたの頭にもいくつかのニュースが浮かぶはずだ。2023年は社会のあちこちに巣くっていた性加害問題が浮き彫りになった年であったし、残念なことに2024年もそれは終わっていない。本書が刊行されたのも、必然的なものだったのかもしれない。
人気のない土手下で1人の男の遺体が発見され、物語は幕を開ける。男の体内からは犯人のものと思われるメッセージが見つかった。
目には目を――そのメッセージの意味は、ほどなく判明する。被害者は集団レイプ事件の加害者の父親だったのだ。
事件を追う刑事達と共に、私達読者は集団レイプ事件の真相と、被害者とその家族、加害者とその家族の〈その後〉を垣間見る。
そこで直面するのは、性犯罪がいかに「日常の積み重ね」から生まれるかということだ。日々の生活の中で〈当たり前〉として受け入れていた男女間の不平等や役割の押しつけ、差別の延長に性犯罪がある。
そのことをよく表しているのが、作中で描かれた夫の呼称問題だ。自分の夫を「主人」と呼ぶ、話し相手の夫を「ご主人」と呼ぶ。当たり前に使っている呼称も、漢字を見てみたらご主人様の主人である。夫婦とは対等な関係であるはずなのに、呼称の中に当然という顔で上下関係――いや、主従関係がある。
主人公である刑事の鞍岡が、そんな目くじらを立てなくても……と感じるのも理解できる。女性の私ですら「じゃあ何と呼べば?」と思う。だが鞍岡は己の中に小さな差別が潜むことに気づく。性犯罪を憎み、一人娘を大事に想う彼にも、そういう部分があった。
私達の日常には些細な性差別が多々ある。ありふれているからこそ解決しづらく、しつこく社会を蝕んで性犯罪を生む。これが大袈裟な発想ではないと、本書を読んだ人は知るはずだ。
そして、この問題は決して男性だけのものではないということもまた、つくづく思う。私も過去に書いた小説に「女々しい」という言葉を何食わぬ顔で使っていて、数年後に読み返して驚いたことがある。就活生の頃、面接で明らかなセクハラ質問をされ、「今のってセクハラかな?」と笑う面接官に「この程度で騒ぐほど自意識過剰じゃないです」と返したこともある。性犯罪に遭った女性を同じ女性が糾弾する構図は、こういうところから生まれるのかもしれない。
「当時はそれくらい許される空気だった」「その場の空気を壊さないために仕方なく」という言い訳はいくらでもできる。しかしこの作品は突きつけてくる。そういう小さな毒がこの社会に蔓延していることを自覚して、地道に取り除いていく必要があるのだと。「誰もが容疑者」で「誰もが当事者」なのだと。そこに男女の区別はないのだと。
てんどうあらた/1960年愛媛県生まれ。86年『白の家族』で野性時代新人文学賞を受賞。93年『孤独の歌声』で日本推理サスペンス大賞優秀作。96年『家族狩り』で山本周五郎賞、2000年『永遠の仔』で日本推理作家協会賞、09年『悼む人』で直木賞を受賞。
ぬかがみお/1990年茨城県生まれ。2015年に『屋上のウインドノーツ』で松本清張賞、『ヒトリコ』で小学館文庫小説賞を受賞。