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母校の学芸大の「現代スポーツ論」で教鞭をとり、96年に東京で開催された「ベースボール・トレーナーズ・セミナー」のシンポジウムにも参加した。メジャーリーグ好きとしても知られ、日米野球ではゲストの野茂英雄や吉井理人とともに解説を務め、『熱闘甲子園』の仕事では若き逸材たちを自分の目で確かめる。野球教室や少年野球大会の開催に奔走し、40代になってからは白鴎大学で経営学部の教授を務めた。
あらゆることを貪欲に学ぶその姿勢は、やがて日本ハムからの監督オファーへと繋がっていく。根気強く選手を育て、ファンサービスを厭わずできるかどうかというファイターズが監督に求める条件を満たす格好の人材だったのだ。
「プロでは無理だ」と言われた男の大逆転
就任1年目の2012年にリーグ優勝。16年には日本一に輝き、計10シーズンにわたり指揮を執った。そして、21年にはついに第5回WBCでの世界一奪還を掲げる日本代表チームの監督に就任する。
思えば、国立大出身の小柄な体格で「プロでは無理だ」と野次られた男が監督となり、当初は「プロでは不可能」と周囲から批判された二刀流の大谷翔平を育て上げ、メジャーリーグのMVPになった愛弟子と侍ジャパンで再会。
投打にわたり漫画のような活躍を見せる大谷を、61歳の指揮官はアメリカとの決勝戦で最終回のマウンドへ。見事に世界一を勝ち取り、栗山采配はまるで映画のようなハッピーエンドの物語で日本中を熱狂させたのである。