およそ70年前に、あるレストランが行ったこと
インド料理にさまざまなバリエーションがあることはわかる。ではバターチキンは少なくとも北インドの伝統料理であることは間違いないかというと、そうでもない。実はインド料理を代表するこの1品、比較的近年に考案されたものなのだ。時を遡ることおよそ70年、首都デリーのレストラン「モーティー・マハル」で登場したのが最初とされている。
店主のクンダン・ラール・グジュラール、クンダン・ラール・ジャッギ、タークル・ダスの3人は、元々英領インド・北西辺境州(現在はパキスタンのハイバル・パフトゥンハー州)の州都ペシャワールで食堂を経営していた。転機が訪れたのは、1947年8月のことだった。イギリスによる植民地支配が終わりを告げたのである。
インド人にとって悲願の独立が実現したわけだが、これは大きな痛みをもたらすことになった。多数派のヒンドゥー教徒による支配を嫌ってイスラム教徒がパキスタンという別の国家をインドから分離するかたちで建国した。
これに伴って、インドのイスラム教徒の多くはパキスタンへ、逆にパキスタンのヒンドゥー教徒の多くはインドへと、大規模な移動が起きた。この流れのなかで、グジュラールたちもペシャワールを離れ、デリーへとたどり着いた。
分離独立間もない時期のデリーはパキスタン側から流入したパンジャーブ人であふれかえっていた。その中から、飲食業で生計を立てていこうとする人びとが出てくる。グジュラールたちがデリーでモーティー・マハルを再開したのは、当然の成り行きだった。彼らが店を構えたのは、オールド・デリーのダリヤーガンジ。書店や出版社が多く軒を連ねる、「デリーの神保町」のようなエリアだ。
タンドーリ・チキンを考案したのもモーティー・マハルだった
モーティー・マハルによるバターチキンの「発明」について説明するには、その前に、インド料理のもうひとつの定番料理であるタンドーリ・チキンから始める必要がある。
タンドーリ・チキンといえば、ヨーグルトとスパイスに漬け込んだ鶏肉を「タンドール」と呼ばれる窯で焼いた一品だ。焼き上がりは鮮やかな赤みがかったオレンジ色で、視覚を刺激する。インドではこれに紫玉ねぎのスライスと半分にカットしたライムが付け合わせになっていることが多い。
日本ではかつてモスバーガーが「タンドリーチキンバーガー」を、ロッテリアが「タンドリーチキンサンド」を期間限定メニューとして出していたことがあるように、インド料理の枠を超えた知名度を誇っている。
このタンドーリ・チキンもまた、モーティー・マハルが考案したものだった。グジュラールたちがまだペシャワールにいた頃、それまでチャパーティーやナーン(ナン)を焼くための窯だったタンドールでマリネした鶏肉を焼いたのが始まりだとされる。これがデリー時代になってからも看板メニューでありつづけた。