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――最初からかなり好印象だったのでしょうか。

伊藤 そうですね。初めて共演した時、「よろしくお願いします」と丁寧にあいさつしてくれて、話をする時に「ランちゃんさんは……」と“さん付け”されたので、なんか面白い人だなって思いました(笑)。豊さんは、人との距離感をとるバランス感覚も最高でした。

 よく、そんなに親しくもないのに「ランはさぁー」って名前を呼んでくる人いるじゃないですか。そういうのが好きな方もいると思いますけど、私は呼び捨てとか苦手なんです(苦笑)。「親しき仲にも礼儀あり」とよく言われますが、すごく大事なことだと思います。

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趣里さんの子育てで苦労した記憶がない理由

 89年の結婚、そして90年には長女・趣里さんを出産し、蘭さんは子育てという新たなライフステージに移行していった。

――蘭さんと水谷さんの間で、育児について話し合いをされたことはあったのですか。

伊藤 特に真剣に話をした記憶はないですね。育児でそんなに苦労した記憶がないのは、豊さんのサポートが大きかったからです。

 夜泣きした時は一緒に起きてくれて、粉ミルクを作ってくれたり、おしめを取り替えたり、お風呂に入れてくれたり。趣里が幼稚園の頃は、豊さんがお仕事をセーブしていた時期だったので、送迎をしてくれたり……本当に楽しそうに子育てをしてくれました。それに私の母もサポートをしてくれたので、ワンオペで大変、みたいなことはなかったですね。

 

「3日間ぐらい食事もせずに…」水谷さんの意外な一面

――水谷さんは、子煩悩なんですね。

伊藤 そうですね。とにかく小学校の低学年までは本当にイヤな顔ひとつせず、楽しんで育児をしてくれていました。でも一度だけ、私が実家に帰ったことがあったんです(苦笑)。

 豊さんは若い頃、長い仕事が終わると、3日間ぐらい食事もせずに水分だけ摂って、ひたすら寝ているんです。本当に死んじゃっているんじゃないかというぐらい熟睡していて、「起きてよ」とつついても起きない。起きたらご飯を食べられるように作っておくんですけど、手をつけずに寝ているんです。その間いっさい、会話もなく。さすがに耐えきれなくなって実家に帰りました。