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「守秘義務の関係から詳細は申し上げられませんが、『子どもが家に置いていった所有物によってこんな被害が出た』などを理由として、損害賠償を請求してくるケースが何件かありました。

 こうした人々は、本当に被害の弁済を求めているわけではなく、法的な手段を通じてでも子どもと繋がっていたいという屈折した願望があると感じます。子どもが自分たちから離れていくという現実を受け入れることができず、少しでも子どもと接点をもちたいという思いで、法的な手段をとっているのではないでしょうか。訴訟を起こされたら、子ども側は応訴せざるを得ません。子に執着する親にとっては法律の手続きすら、子どもとの接点になり得るのです」

被虐待児に対する支援者や世間の熱量は高いのに…

 毒親問題のみならず、児童虐待問題についても積極的に活動してきた吉田氏は、子どもをケアする側である社会の考え方に疑問を示す。

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「20代の頃、児童虐待問題の活動をしていたなかで気づいたのは、被虐待児に対する支援者や世間の熱量は高いのに、彼らが大人になってからの心のケアなどに関心を向ける人はぐっと少なくなるという点です。『あの人はもう大人だから』という一言で片づけられてしまうのです。

 大人になってから、親のことを悪くいうと、『親不幸』だとか、『大人になりきれていない未熟な人』という烙印を押されてしまい、誰かに相談する機会があっても、理解を得ることができず、やがては他者に助けを求めたり、相談したりすること自体を諦めるようになって孤立してしまう。そんなケースも多いです。

 しかし、成人したとしても、受けた虐待や毒親からの仕打ちは残り続けます。社会生活を送るうえで何度もそれがフラッシュバックし、対人関係でうまくいかなかったり、親からの接触があるたびに過去の弱い自分に引き戻されたりすることを経験しなければなりません。

 そのような人たちが自分の人生を立て直すために力になれることがないか、私は長年にわたり、自分の経験も踏まえて模索し続けてきました」

当人にしかわからない傷は、当人にしか回復し得ない

「内容証明郵便を送るだけでは、法的な関係がすべて清算されるわけでもなければ、幸せな将来が約束されるわけでもありません。

 ただ、親と距離を置き、心身ともに安全な環境に身を置くことで、過去を一旦整理し、失われてしまった自己への肯定感を回復する時間を創出することができるのではないか、と私は考えています」

 当人にしかわからない傷は結局のところ、当人にしか回復し得ないかもしれない。だが、吉田氏は、法律という無機質にも思える条文に分け入って、何とか依頼者が望む状況を現出させようと試みる。その熱意が、家庭という名のもっとも薄暗い密室で粉々にされた相談者たちの尊厳を復元していく。