母が犯した最悪の借金
母は当時では珍しい自由な考えの人だったと思う。
子育ても、自由放任(すぎる)だった。
でも、母が「女の子らしくしなさい」とか「勉強しなさい」とか言わなかったことを、私は少し感謝している。
モノトーンの服を好んで着ていた私に「ゆかにはそういう服がよく似合うのね」と褒めてくれたこともよく覚えている。
もしかしたら、自分が親に言われて嫌だったことは、私に言わないようにしていたのかなとも思う。
自由でさっぱりしていて、遊ぶのが好き。だから、家族以外の人からは不思議と好かれる人だった。私ももし、自分の母親じゃなかったら、一緒に遊ぶと楽しいなと思っていたかもしれない。
母の実家は長年、米屋という堅実な商売をやってきたことも影響していたのか、古風な考えの人が多かったように思う。祖母や伯母は、突然子連れで戻った母のことを受け入れられなかった。
祖母も伯母も唯一の孫であり、姪である私には優しかったが、母に同じように優しい言葉をかけているのを見たことがなかった。
子どものころから母は容姿が良く周りの人にかわいがられていたというようなことは、時折、祖母や伯母から聞かされた。
でも、子どものころに母が好きだったことや、よくしていた遊び、つまり、母の個性や人となりについて、家族が話題にしているのをほとんど聞いたことがなかった。
母の理解者は、家族の中にはいなかったのかなと思う。
母は、もしかしたら家族の中で孤独を抱えていたのかもしれない。
家族と絶縁することになった“ある事件”
私が中学2年生のとき、母は事件を起こす。
祖父母の建てたビルを担保に勝手に借金をし、それを返せなくて裁判を起こされたのだ。そのとき法廷に立ったのは、年老いて足を引きずった祖母だった。ちなみに父親である祖父はショックで倒れた。
祖父は、そのときまで母がお金のトラブルを抱えていることをまったく知らなかったと言った。そんなバカな、という話である。だって、毎日のように祖母や伯母がそのことで怒っていたのだ。
この祖父の発言を聞いて、祖父は、都合が悪いことからずっと逃げてきた人なんだろうなと、中学生の私はひそかに思ったのだった。
私は優しい祖父のことが大好きだったけれど、母にとっては頼りになる父親ではなかったのかもしれない。
この事件があって、みんなが怒って母と縁を切った。
母は家族の中でますます孤立した。そのころ、母のストレスは限界だったのだろう。なにも言わずに家を空け、私が連絡しても電話にもでないということが増えた。
ある日、同じように帰ってこない日が続いた3日目の明け方、まだ私が寝ているときに戻ってきた母は、私の部屋に入ってくると突然枕を蹴とばしてきた。
びっくりして私が飛び起き「どうして帰ってこなかったの?」と聞くと、母はひと言「あんたの顔を見たくなかったからよ」と吐き捨てた。