もう母と一緒に暮らすのは無理なのかもしれないと思いはじめたのもこのころだった。
母から逃れるために、早く大人になりたかった。
クソな父
高校2年生のとき、私は母と暮らしていた田端の家を離れ、父と暮らすことになった。いよいよ母の経済状況が悪化し、学費を払えないと言われたためである。
当時、私は中高一貫の私立高校に通っていた。「公立に転校してほしい」と、ある日突然、母が言った。驚いて言葉を失っている私に、母は畳みかけた。「お金ができたらまた私立に戻してあげるから、ね」
通っていたのはまずまず知られた進学校だった。美大を受験しようという目標もあった。いま転校してしまったら、きっと受験勉強についていけなくなる。
母の支離滅裂な提案をのんでしまったら、進学もできず、仕事のあてもなく、私の人生お先真っ暗だと考えた。そこで私が意を決して頼ったのが、父だった。
それまで父とはほとんど話をしたことも会ったこともなかった。
私が赤ちゃんのころに家族で箱根に遊びに行ったときの写真をアルバムの中に見つけたけれど、なにも覚えていなかった。
中学生のころに一度、ファミレスで父と会ったこともあったが、どんな会話をしたのか思い出せない。母からこの人が自分の父親だと言われても、ぜんぜんピンと来なかったことだけは覚えている。
そして、母の話では、父から養育費はもらっていないということだった。
母が泣きわめいて警察まで呼ぶ事態に
父親らしいことをいままでなにもしてこなかったのだから、この人に責任を取らせよう。私はそう考えた。
「ママに学費が払えないと言われている。大学にも行けそうにない」と電話口で話す私に、父は二つ返事で「高校の学費も払うし、大学に行きたいなら、その費用も払う」と言ってくれた。
当時、父の職場は千葉にあった。父の仕事先もそこまで離れておらず、私が通っていた都内の高校にも通学できる松戸に、父が部屋を借りてくれた。そこで一緒に暮らすことに決まった。
田端の家を出ていく日、迎えにきた父の前で、母が泣きわめいて暴れた。
私が父親に連れ去られると騒いで、警察まで呼んでしまった。
取り乱す母を見て、自分がとてもひどいことをしているような罪悪感に襲われた。でもほかに方法がなにもない。母を置いていくしかないのだ。
ちなみに私は、その日に突然「ママさようなら」と告げたわけではない。
高校の学費と大学受験の費用を出してもらうために父と暮らすということはすでに伝えていたし、引っ越しの日取りも母と相談して決めたのである。母も納得してその日を迎えたはずだった。なのに、この騒ぎだ。
暴れる母の姿を見たくなかった私は、さっさと父の車に乗り込んだ。そして「警察と勝手に話をさせておけばいいから、もう車出して」と父に言った。