1ページ目から読む
3/4ページ目

最初は通常より2割少ない量を投与

 翌朝7時過ぎに主治医で東海大学医学部腎泌尿器科准教授の小路直医師の回診があり、予定通り今日、1回目の化学療法を行うこと、そしてそれに伴う諸注意などの説明を聞く。僕があまりにも抗がん剤を怖がるので、最初は通常より2割少ない量を投与し、副作用の出方を見て、2回目以降は増量を検討していくとのこと。色々と無理を言って申し訳ない。

 朝食時から、副作用の吐き気を抑える薬が処方される。

 その後看護師さんが来て点滴が入り、どこに行くにも点滴台を連れて歩かなければならなくなった。入院するたびに「これさえなければ入院もラクなのに……」と思う。最新の科学の力を結集すれば、点滴台に代わる新しいテクノロジー(よくわからないけれどドローンみたいなもので点滴薬を空中に浮かせておいて、歩くときには勝手に空中を付いてくるとか)が開発されてもおかしくないと思うのだが、この人生でその恩恵に浴することはなさそうだ。

ADVERTISEMENT

 午前11時、看護師さんが来て、名前と生年月日と腕に取り付けられたリストバンドを何度も確認したうえで、点滴台にぶら下がる生理食塩水のボトルに『タキソテール(一般名:ドセタキセル)』という薬剤が入れられた。

点滴が始まった(筆者撮影)

 これから2時間かけて、この抗がん剤が点滴投与されるのだ。

 体内に薬が入ってすぐに副作用が出るケースは非常に少ない、と朝来た看護師さんが話していた。今回は朝食時に飲んだ経口薬だけでなく、点滴でも吐き気止めを投与している。万全の上にも万全な体制を敷いてもらっているのだが、それでも恐い。吐き気は嫌だ。

 人間の体に起き得る苦痛の中で、嘔吐と呼吸苦ほど嫌なものはないと思う。今回の薬の副作用には呼吸苦はないようなので嘔吐に限定して述べさせてもらうが、僕は「吐かずに済むなら多少の損はしてもいい」と常日頃から思っている。酒を飲み過ぎて吐き気を催したとき「吐いてしまえばラクになる」という人がいるが、僕は吐かずに済むなら朝まで苦しんでもいいと思う。もっと言えば、いやらしい話になって恐縮だが、幾ばくかのお金を払えば吐き気を治めてもらえるなら払ってもいい、と思う。もちろん上限はあるが、5000円くらいなら払うかもしれないし、1000円だったら回数券を買ってもいい。とにかく「嘔吐恐怖症」なのだ。

 同じ副作用でも、脱毛などは軽いものだ。もちろん髪が無くなるのはうれしいことではないが、髪が無くてもカッコイイ人はいくらでもいるし、そもそも前立腺を、いや“性機能”を失っている僕は、いまさら女性にモテても仕方ないのだ。

「この際髪の毛は差し上げますので、吐き気だけはご勘弁ください」

 と、例によって周辺にいるかもしれない神仏にお願いした。

 しかし、じつはこの時、僕は多くの人たちに守られていたのだ。

 着ていたパジャマはB藝春秋の2人のワケアリ女性編集者から贈られたもので、そのポケットにはB藝春秋のワケアリ人妻編集者から頂戴した「がん封じのお守り」が入っている。そして手には姪っ子からもらった高級ハンカチが握りしめられていたのだ。