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 実は、高知駅が開業したのは1924年と、県都のターミナルにしてはやや遅い。そして、それより20年前の1904年に路面電車が先に開業している。

 路面電車は市街地の中心を通り、町の発展に大いに貢献した。それが一通り形作られたあとに、高知駅が開業したのだ。だから、高知駅というターミナルは、高知の町においては脇役なのだ。

 それに、高知は古くは海路、いまでは空路で東京など他の都市と結ばれる。龍馬さんではないけれど、高知の人々の目は海を向いていた。そういう事情も、高知駅が中心市街地の賑わいに飲み込まれなかった理由ではないかと思う。

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駅前広場に戻ると片隅になぜか“岩手のあの人”が…

 とはいえ、高知駅が高知の町の玄関口であることは事実だ。だから、町をぐるりと歩いたら、やはり高知駅に戻ってくることになる。駅前広場を再び歩いていたら、片隅に石川啄木の碑をみつけた。啄木といったら、東北は岩手の歌人。それがなぜ。

 

 調べてみると、啄木に先立たれた啄木の父は、娘の夫のもとに身を寄せたのだとか。その夫は、鉄道職員。開業まもない時期の高知駅に赴任することになり、啄木の父も従った。そして、高知の地で人生を終えたのだという。

 それが縁で、啄木の歌碑が高知駅前に置かれているのだ。啄木といい、正岡子規といい、松尾芭蕉といい、歴史的な歌人・俳人というのは、ほんとうに日本中あちこちに顔を出すものなのである。

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