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かたわらにはつくばエキスポセンター。そこへの道すがらには、太陽系の惑星や地球の歴史を紹介する案内板が置かれている。つくばというのは、科学の町なのだ。
なぜ「つくば」は“科学の町”になった?
つくばが科学の町になったきっかけは、1960年代にさかのぼる。1963年に閣議決定、1967年に基本計画が確定した筑波研究学園都市だ。人口が急増して過密化が問題になっていた東京から、官公庁の研究機関などを移転させて、科学技術振興・研究・教育の拠点とする、というのが筑波研究学園都市計画の目的だった。
つくばがターゲットになったのは、東京からそれほど遠くなく、それでいて用地の確保が容易だったからだろう。
古い時代の地図を見ると、つくば駅周辺には針葉樹のマークが並んでいる。だから、きっと松の雑木林かなにか。そうした筑波山麓の一帯を、1兆円以上かけて大規模に再開発し、1980年には中央省庁の研究施設43機関が移転した。いわば、現代日本最大の“計画都市”である。いまでも中央省庁から国立研究開発法人、独立行政法人などの研究機関、また民間企業の研究所まで、実に300ほどの施設が集まっているという。
約40年前には万博もやってきて…“日本一人口の多い村”に起こった変化
1985年には、国際科学技術博覧会(つくば万博)も開催されている。新たなる科学都市・つくばのPRイベントのようなものだ。この万博で、つくばという町の存在をはじめて認識した人も多いのではないか。
そして、1987年には筑波郡の谷田部町・大穂町・豊里町、そして新治郡桜村が合併してつくば市が誕生する。いまのつくば駅がある辺りは旧桜村。合併当時、すでに4万人以上の人口があり、日本一人口の多い村だったのだとか。