町を眺めてみると見えてくる「昭和のニッポンが抱いた近未来」じゃないもの
つくばの町、つまり筑波研究学園都市の整備が始まってからもう半世紀近く。つくばエクスプレスはまだ20年ほどの歴史しか持たないが、町そのものはだいぶ時を重ねてきている。ただ、それでもやっぱり、東京都心のように数百年に及ぶ歴史が地層のように積み重なっている町とは、本質的に違っている。
大通りを跨ぐ陸橋、歩いている人は少なくても、やたらとクルマ通りの多い大通り、そして建ち並ぶ商業施設やオフィスビル、駐車場。まるで無機質と言いたくなるような、それくらいによくできた人工都市だ。少し町外れまで歩くと、一戸建て住宅が並ぶエリアもあった。これからも、開発は進むのだろうか……。
と、昭和のニッポンが抱いた近未来ってこんな感じだったのかしらん、などと思いながらつくばの町を歩いた。しかし、目をこらして町を眺めてみると、そんなわかりやすい近未来ばかりではないところも見えてくる。
つくば駅周辺を含めた中心市街地のあちこちにある、昔ながらの団地群である。一言でイメージを伝えるならば、1960~70年代に各地に生まれた公団団地のような建物群。これが、つくばの町のあちこちにあるのだ。
それも、ほとんどが人の暮らしている気配がない。中には洗濯物が干してあったり、駐輪場に自転車が停めてあったりする建物もある。いくらかキレイにリフォームされたのか、そんな建物もある。
ただ、大半が入り口が完全に封鎖された“廃団地”なのだ。半世紀ほど前の日本が力を注いで築いた人工都市は、もうこのようなありさまなのか。時の流れはどれほど残酷で……。
が、調べてみると、この廃団地のほとんどは、いわゆる公団団地のようなものではないようだ。70~80年代につくばに移転してきた研究機関で働く人たちのための官舎、公務員住宅の類いだったのである。