「飲み水が少ないので、唇が乾燥してかさかさになります。手も顔もずーっと洗えないままでした」
約10人のスタッフで避難所を運営
唯一の救いは、小学校の一帯が停電を免れたことだった。
倒壊しなかった家から持ち寄ったコンセントが、タコ足状態につなげられ、多くの人が携帯電話を充電した。
通話も一部はつながった。最も状態が良かったのはdocomoだ。しかし、同じdocomoでも格安のahamoは通じにくかった。他の通信事業者もなかなか通じなかった。
どの通信事業者と契約していても、比較的安定して送受信できたのはLINEだった。
避難所では多くの問題が発生した。
まず、運営スタッフが不足した。市役所から派遣されたのは2人。正月で妻の実家に帰省していた自衛隊員が自主的に加わり、最初は3人で切り盛りした。
上浜さんは「物資を運ぶので、手が空いている人は来てください」という呼び掛けに応じてスタッフになった。「ボーッとしているのが嫌」だったからだ。
それでも10人ほどに増えただけだった。被災のショックでパニックになっている人もいたから、仕方がない面があったのかもしれない。だが、これで最大600人の避難所を運営したのだから、並大抵の苦労では済まなかった。
“お客さん状態”の避難者も多数
食料として届いたパンを配る時には長蛇の列になった。
「市の職員は丁寧に対応しすぎるのです。パンは全てが同じ中身ではありません。一人一人に選ばせていたら、時間が掛かって仕方ありませんでした。そこで家族の代表に来てもらい、アレルギーの人以外は、選ばずに渡していきました。渡された物が嫌だったら、もらった人同士で交換するように伝えました。同じ家族で2度並ぶ人がいたのが分かると、『もう並んでいたぞ』とわざと大きな声で言うようにしました。市の職員は苦情を言われると対応せざるを得ません。私のように物をハッキリ言うタイプの住民がどんどん進めていくことも必要なのだと実感しました」
配布をこのやり方に変えると、列は大幅に短くなった。
避難所では、お客さん状態の人も多かった。
例えばトイレ。仮設が配備されるまでは、体育館のトイレだけだった。断水していたが、プールの水をバケツに汲んで流すと、汚物は流れた。地下で下水管が破断するなどしている恐れもあったが、使っていくしかない。当初は「野糞をする人もいた」と上浜さんは語る。こうして体育館のトイレを大人数が使用しているうちに、詰まることもあった。