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この頃はまだ、ロシアには言論の自由がなんとか機能していたのだ。独立系メディア『メドゥーザ』等だけではなく、ロシアの有力経済新聞『コメルサント』も、中立的な表現ではあるがこの事件を報道していたし、米CNNなどの外国のメディアも、ペスコフ報道官に質問ができる状況だった。

ロシアの医師団が毒殺計画を隠蔽しようとするのを痛烈に批判

ユリアは、ロシアの医師団が、化学物質の検出を防ぐためにナワリヌイ氏の移送を遅らせたとの見方を示した。

ナワリヌイ氏の側近ボルコフ氏は、移送に協力的だった医者たちが、突然協力するのを拒みだしたと述べた。「まるで治療モードがオフになって、隠蔽(いんぺい)工作モードがオンになった感じだった。妻にさえ情報を提供するのを拒否した」。

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ロシアの医師レオニード・ロシャロ氏は、アレクセイの症状の原因を解明するために、ドイツとロシアの共同の専門家グループを設立するよう提案した。しかし、ユリアはインスタグラムに書いた。「私の夫はあなたの所有物ではありません」。

そして、ドイツとは異なる、ロシアの医療の体質を批判した。「ロシアの病院に患者が入院すると、突然、地元行政がその患者を自分たちの所有物だとみなしていることが判明します」「そして同時に、親族を欺き、患者に会わせず、自分たち独自の裁量で規則を発明し、文字通り病院をロシアの刑務所の類似物に変えるのです」。

さらに、近年のロシャロ医師の公の活動は、彼を信頼する理由にはならないと指摘した。「あなたは医師としてではなく、国家の代弁者として行動して」いると批判した。「特にそのような立派な年齢で、自分の魂に罪を負わせないでください」と結んだのである。

ナワリヌイ夫妻に助け船を出したドイツ首相メルケルの元へ

高名な医師に向かって、信頼できない、国家親衛隊のトップに向かって、卑怯者。彼女の政治的な言葉は少ないが、非常に断定的で人々の心に残るものだった。

そして、ユリアはナワリヌイ氏と共にベルリンへと旅立つことに成功し、22日に到着した。この8月は奇(く)しくも、二人の結婚20周年だった。ユリアは昏睡状態に陥ったアレクセイの隣で祝った。