そして、「ロシアの政治はソ連時代から、なぜか『二列目』に恵まれていない」というのである。「奇跡が起きたのは、これまでゴルバチョフ家とナワリヌイ家の2回だけです」。
(註1)1825年にロシアで皇帝専制と農奴制の廃止を目指して、貴族の青年将校たち「デカブリスト」が武装蜂起したが、あえなく失敗してシベリアに送られた。貴族の妻二人が、夫と運命を共にするためにシベリアに向かったという史実をもとにした、詩人ネクラーソフの作品名。
女性が政治のトップに立つ欧州でユリアも躍進するか
今までは、夫の危機の時だけ前面に出て、夫を支える強く賢い妻だったからこそ、ユリアは称賛されてきた。貞淑で、ひたすら夫のためを思う「デカブリストの妻」だったから、男性の一定の支持も得られた。今後は、夫の遺志を継ぐのなら、第一線に立つ「生意気な女」にならなければいけない。ロシア人はそんな彼女を受け入れるだろうか。
ユリアがEUの舞台や西欧にいると、このロシアの遅れは一層浮き彫りになるように見える。夫妻を救ったメルケル首相は、女性である。EUの内閣にあたる欧州委員会の委員長は女性のフォン・デア・ライエン氏である。アメリカにはまだ一度も、女性のトップは登場していないが、EU加盟国では女性の首脳は全く珍しくない。
2月27日、ユリアは欧州議会の演説で、スタンディングオベーションを受けた。そのEU議員の4割は女性である。
女性は男性の後ろにいるべきという「常識」は、消え果てているEU内の世界。ユリアへの同情と反体制派への支援の気持ちは本物だとしても、「夫の代わりの妻」への関心はどれだけ続くのだろうか。もし彼女が西欧に生まれていたら、彼女自身が政治家やNGOの重要な人物になったかもしれない。
しかし彼女はロシアで生まれ育った。そしていまや伴侶もなく、子どもたちの安全に不安を抱えながら、亡命者として生きていかなければならない。