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台詞に頼らず、「歌」「表情」で表現

 中でも、スズ子の歌手人生のパートナーとなる作曲家・羽鳥善一を演じた草彅剛は、「この人以外に考えられない」という配役の極みだったと言える。

音楽の力をどこまでも信じ抜く明るさ、狂気にも似た偏執。草彅剛なくして羽鳥善一は成り立たなかった ©NHK

「大河ドラマ『青天を衝け』(2021年)で草彅剛さんとご一緒したとき、徳川慶喜という非常に背負うものの大きい役を演じていただきましたが、いつか草彅さんに思いっきり明るく突き抜けた役を演じていただきたいと思っていました。羽鳥役で草彅さんの明るさが爆発すればいいなと思ってお願いしたら、想像以上に爆発していただけましたね」

 趣里も草彅剛も、特に表情で語る芝居が心に残る。『ブギウギ』は台詞に頼らずに、「歌」と「表情」で表現するシーンが多い作品だった。

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「やっぱり『いちばん大事なことを台詞で言っちゃうと、なんだかね』という感じがしますしね。 ドラマ好きな方には『ああ、言っちゃった』と思われるでしょうし。映像作品は『いかに台詞で言わないか』という戦いかな、とも思います。いちばん言いたいことを『歌』で語るというのは、ドラマとして挑戦したところではあります。足立紳さんの脚本はト書きがきめ細かい。映画監督もされている方なので、映像の『上がり』をどこに持っていきたいかという狙いが定まっている。そんなところからも、台詞に頼りすぎない作劇になっているかと思います」

独特の戦争表現

『ブギウギ』は戦争表現も独特だった。通常、戦争を通過する朝ドラには欠かせないものがある。もんぺ、胸に縫い付けられた名札、窓に「米印」に貼られた紙テープ、国防婦人会……など、おなじみの「戦争風景」を彩る“脇役”の数々だ。『ブギウギ』には、これらがギリギリまで登場しなかったり、登場シーンが少なかったりした。スズ子は昭和19年春頃までもんぺを履かずにスカートを貫き、国防婦人会も、茨田りつ子のドレス姿に物申す場面で一度登場したきりだ。このねらいについて訊ねた。

弟・六郎(黒崎煌代)を歌った「大空の弟」には、戦争を体験した万人の思いがこめられていた ©NHK

「その時代の資料や写真をいろいろと見てみると、意外ともんぺを履いてない人もいるんですね。スズ子は舞台人でありますし、ギリギリまでスカート姿で、りつ子は一度ももんぺを履いていない。小夜(富田望生)はもんぺ姿。一口に『戦時中』と言ってもいろんな人がいた、ということを表現したいと考えました。窓に貼る『米印』の紙テープについても資料を調べて、実は一般家庭ではやっていない人も多かったと知りました。やはり『当時の様子』としてわかりやすいので、そういう写真が大きく残りやすい、そして映像でも表現しやすいのですが、実際は、みんながみんなやっていたわけではない。

 戦争が始まったら、みんな戦争に向かって、思いが一緒くただったかと言えば、そうじゃない。戦争の『良い悪い』をドラマの中では言いませんが、同じ時代に戦争に巻き込まれながらも、いろんな人のいろんな思いがあった。そんなところが出せればな、と。それが『ブギウギ』らしいのではないかなと考えました」