「無敵の人」状態からの生還
「DV加害者プログラム」をやめさせられて半月ほど経った頃、弁護士から離婚調停への呼び出しと書類が届いた。
幸い、「日本家族再生センター」のカウンセリングを受け始めていた中村さんは、落ち着いて受け取ることができた。
離婚調停は2回で終わり、34歳になった中村さんは元妻に弁護士経由で謝罪の手紙を渡し、離婚を受け入れた。
「最後に元妻の顔を見る機会があったのですが、自分と暮らしていたときと比べ顔色も良く、少しほっとしました。傷を癒して、幸せになってくれたらなと思いました」
調停の帰り道、離婚したことを味沢さんに電話で報告すると、「おめでとう! これから新しい人生だね!」という言葉をかけられ、前向きな気持ちになることができた。
ところが、その後も中村さんには困難が待ち受けていた。
元妻との離婚後、「過眠症」を発症した中村さんは、一度眠ると24時間近く眠ってしまうようになり、仕事に支障を来した。もちろん、病院にかかり、検査や入院もした。薬も飲んだ。それでも改善されず、月に2~3回は無断欠勤をしてしまう。
中村さんは36歳になった頃、会社から時短勤務を言い渡された。
しかしそれでも過眠症は改善せず、上司からは「体調管理をしっかりしろ!」などと叱責され続ける。そして時短勤務を言い渡されてから1ヶ月ほど経った頃、上司と人事の担当者に呼び出された中村さんが迫られたのは、「自己都合退職」だった。
その場で退職届を書かされた直後、人事の担当者から「思いつめて自殺なんてしないでね……」と苦笑される。
「その瞬間、『なんで自分が死ななきゃならないんだ?』という疑問がわき、すぐに、『……というかお前が死ねよ。夜寝て起きたら夕方だった絶望感がわかるか?……よし、この場で殺そう!』という思考に至りました。今思えば支離滅裂な思考ですが、当時の私には失うものは何もなかった。孤独な状態で追い詰められると、支離滅裂な思考をクリアに巡らせる瞬間に襲われるような気がします。世間で言われるところの、『無敵の人』状態でした」
恐ろしいことに、その時の中村さんは、瞬時に頭の中で上司と人事の殺害方法を考えていたという。
それでも、湧き上がる殺意を何とか抑えつけ、中村さんはそのまま会社を後にした。
会社を出て、真っ先にしたのは味沢さんへの電話だ。
「会社をクビになっちゃいました!」と報告すると、「あら! おめでとう!」と返す味沢さん。
「上司と人事への殺意や今後の不安などをただただ聞いてもらい、受け止めてもらえたことが良かったのでしょうね。『殺そうと思うなんておかしい』ではなくて、『殺したいと思った』という感情を受け止めてもらえたのが一番大きかったのだと思います」
・妻の不倫と自分のモラハラで離婚に至ったことによる孤独感
・過眠症発症による職場での問題と原家族による自己肯定感の低さ
・辞職に追い込まれたことによる経済的な不安
この3つが揃ったことによって、中村さんは上司と人事に対する殺意にまで至ったと考えられるが、味沢さんという存在がすべてを和らげ、窮地を救ったのだ。