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「私は病院には連れて行きませんでした」現役医師が告白する…実の父親が腰椎を圧迫骨折しても家で安静にさせていた“意外な理由”

『健康の分かれ道 死ねない時代に老いる』より #2

2024/04/10
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 十分にシミュレーションしたなら、現実にもどります。すると死の宣告を受けていない今がどれほどありがたく、幸運に恵まれ、かけがえのないものであるかがわかります。処分すべきものも早々に処分するでしょうし、行きたいところ、食べたいもの、観たり聴いたりしたいものもすぐ実行するでしょう。

 残された時間をどう使うか、真剣に考えたら、健康診断を受けるとか、がん検診や人間ドックに行くようなヒマはないはずです。健康に時間を取られるより、ほかにすべきことがいろいろあるのですから。

 健康の呪縛から自由になったとき、それが健康の「出口」です。

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自分を甘やかしてもいい

 無事に健康の「出口」を出られたなら、あとは自分を甘やかしてもいいのではないでしょうか。

 甘いものも脂っこいものも、好きなものを好きなだけ食べ、お酒も飲みたいだけ飲み、タバコも気にせずに吸い、朝から晩まで好きなことをして、思い切り自堕落にすごす。それは厳しい日常を生きてきた人には、一回やってみたいことのひとつではないでしょうか。子どもころ、宿題も予習復習もせず、遊びたいだけ遊び、寝たいだけ寝て、毎日が日曜日のような暮らしに憧れたことはありませんか。私はよく憧れました。

 健康の「出口」を出たなら、あとは来たるべき“その日”に向けて、できるだけ悔いが残らないよう、日々を大切に生きるだけです。その中には、自分を甘やかすことの甘美な快感も含まれます。心配しなくても、高齢になれば好き放題するといっても、さほど健康に悪いことまではできません。濃い味や脂っこいものは受け付けなくなり、食べられる量も減り、若いころの半分くらいで満腹になりますし、お酒も弱くなってすぐに眠たくなります。徹夜で遊ぶのも疲れるし、アバンチュールを楽しんだり、ギャンブルにのめり込んだりするより、家で寝ているほうが楽でいいということにもなります。思い切り不摂生しようにも、身体がついていかないようになるのです。

 何事にもいい面と悪い面があるように、自分を甘やかすことにもデメリットはあります。ひとつには健康に悪いということですが、その「出口」はもう出ているのですから、気にする必要はありません。今ひとつのデメリットは、家族や世間の不評を買うということでしょう。だらしなくしていたり、暴飲暴食や酒びたりの毎日になると、周囲は眉をひそめますが、最後まできちんとして格好よくありたいのか、顰蹙を買ってでも好き放題したいのかは、自分次第です(二兎を追うことはできません)。

 家族や世間を気にするということは、結局、家族や世間によく思われたい、迷惑をかけたくない、文句を言われたくないなどの欲望のなせる業で、そこに執着すると、自堕落のうっとりするような快感は得られません。それでも満足ならそれでもいいでしょうし、最後まで頑張り通せば、「立派な人だった」という評価が得られて、最後はニッコリ笑って死ねるかもしれません。

 いずれにせよ、健康という呪縛を手放したら、生活全般に大きな自由が得られるのはまちがいありません。

「私は病院には連れて行きませんでした」現役医師が告白する…実の父親が腰椎を圧迫骨折しても家で安静にさせていた“意外な理由”

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