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他の医療機関も次々に回ったが…

――そんなわけがあるものか。

 陽子の心は医師の言葉をはねつけていた。外に遊びには行けないが、佳美は私のそばで洗濯物をきちんと畳んだり、キッチンで洗い物を手伝ったり、しっかりと生きているではないか。

 夫婦は佳美を連れ、大阪にある国立循環器病研究センターや東京の最先端の医療機関などを次々に回った。そのたびに、声もなく首をうなだれて戻って来た。

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 やはり、国内で手術できるところはない、というのだ。佳美が幼過ぎてメスが入れられず、きょうまで身体の成長を待った。その間に心臓が悪いなりに血液を送り出し、異常は血管など心臓以外の箇所にも及んでしまっているという。

「国内でできなければ、海外はどうでしょうか」

 病院で陽子は食い下がった。

 この10年前に、南アフリカ共和国で世界初の心臓移植手術が行われている。これをきっかけに、世界中で年間百件ほどの移植手術が報告され、日本でも1968年に札幌医科大学教授の和田寿郎が実施していたが、臓器提供者の脳死判定を巡って医療界と世論の強い批判を浴び、日本での脳死臓器移植はストップしたままだった。

 借金を返しつつ、手術のために蓄えた貯金は2000万円を超えていた。保険は適用されない。海外であれば、血液の調達などにも現金が必要となり、2000数百万円が必要だと聞いていた。

「日本でだめならアメリカで、それがだめならイギリスでできませんか。お金は用意します」

「カルテをアメリカまで送ってみましょう」

 医師はそう言って、米国の病院にもカルテを送り、治療の方法を模索してくれた。だが、返ってきた答えはやはり、「手術は不可能です」という非情なものだった。

 佳美のために手を尽くしたあれもこれも、何もかも否定されてしまった。「何とかしなければならない」という思いだけが頭の中をぐるぐると巡る。二人は打ちのめされ、涙も出なかった。それから数カ月を、二人はぼんやりと気が抜けたように過ごした。

「お金だけど、寄付しませんか」

 しばらくして、陽子が「お父さん」と声をかけてきた。思い詰めているのが宣政にはよく分かった。

「せっかくたくさんのお金を貯めてくれたけど、佳美ちゃんに全然使えなかったね」

「うん」

「そのお金だけど、寄付しませんか。佳美ちゃんのような子供の治療を研究する施設なんかに」

 突然の提案に宣政は絶句した。父親としては、「そうか、そうしよう」と言いたかったのだ。だがもう一人の実業家の顔が「うーん」と生返事をさせた。