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 アフリカでの商売が円高の影響を受け、会社の売上利益は圧迫されつつあった。宣政がアフリカの地を踏んだ時は固定相場制で、1ドル360円であった。しかし、変動相場制に移行してからは円が毎年高騰し、1978年10月には152円を記録している。1ドル360円の頃に比べると、利益は半分以下だ。

 打開の道の一つとして、医療分野に進出できればいいな、という思いはあった。ビニール加工技術のノウハウを生かし、点滴チューブのようなものを作れないだろうか。計算してみると、医療用点滴チューブは1キロあたり10万円になり、利益を見込めそうだった。

 だが、点滴チューブのようなシンプルな構造の製品を作るのと、人工心臓を作るのでは、天と地ほどの違いがある。果たして自分が挑んで良い領域なのかさえ分からない。

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無謀な賭けに打って出る決意

 宣政が返答できずにいると、小柳はこうも言った。

©AFLO

「できなくても、業界の発展のためになりますよ。業界のためにならなくても、こういうことにお金を使いきったということであれば、皆さんも満足いくんじゃないですか」

 その言葉に夫婦は胸を打たれ、無謀な賭けに打って出ようと決意した。

 佳美のために何かをしたくて、もがいてきたのである。まだ何かしてあげられることがある。そして、それは他の病気の子供たちを救うことにもつながる。そこに、ほんのかすかな光を感じたのだ。

 後で知ったことだが、阿久津も「人工心臓を作ってみようじゃないか」とコルフに言われて、成功の確信のない漠然とした思いで出発したのだ。後藤正治の『人工心臓に挑む』(中公新書)によると、阿久津は「自然心臓に似た人工物をともかくもつくり上げて、動物実験にまで持ち込むしかない」と文献も何一つないところから始めたという。

 当時、日本の人工心臓は東京大学と大阪大学が競って研究をしていた。東大の研究所は当時の文部省、阪大は厚生省のバックアップをそれぞれ受け、国の資金で研究をすることができた。

 東大の研究を担っていたのは、医学部教授であった渥美和彦である。人工臓器の権威となる渥美は、漫画『鉄腕アトム』の作者・手塚治虫の旧制中学の同級生であり、お茶の水博士のモデルの一人とされている。

 たとえて言えば、「アトムの心臓」を作ろうとしている研究者であった。

 一方の東京女子医大は、心臓病治療においては群を抜いていたが、莫大な資金を必要とする人工心臓を研究する体制ではなかった。

 後になって、宣政はこう考えた。

「東京女子医大なりに、人工心臓の分野にも進出したいという思いがあったのではないか。自分はそのための試金石のようなものだったかもしれない」

 学会のそうした事情を知ることなく、ど素人の夫婦は人工心臓の勉強にのめり込んでいった。このとき、宣政は37歳、陽子は35歳である。

INFORMATION

映画『ディア・ファミリー』6月14日(金)より公開中

主演:大泉洋/監督:月川 翔/配給:東宝

映画公式サイト:https://dear-family.toho.co.jp/