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そして、1939年には日立市が発足する。日立町と助川町が合併して誕生した、茨城県内では水戸市に次ぐ2番目の市だ。ほんのひと昔前までは、太平洋に面する元宿場の小さな港町だったところから、大企業城下町へと立身出世。玄関口の名前が助川駅から日立駅に変わったのは、この町の変化に倣ったものである。
少し南の筋に入ると雰囲気が変わってきた。これは…
国道6号、助川時代の名残が見られる道沿いを少し歩いて、ふたたび駅へと戻ることにした。同じ平和通りを戻っても芸がないから、少し南側の筋をゆく。
平和通りは実に現代的で、大げさにいえば無機質な目抜き通りといった趣だったが、少し南の筋に入ると様相は違ってくるようだ。商店街……というにはいささか寂しさが過ぎるが、それでもかつては紛れもなくこのあたりが日立の中心市街地だったのだろうということは伝わってくる。
古い商店が軒を連ねるかと思えば、さらに路地に分け入れば古びたスナックや居酒屋の類い。小さな祠が唐突に現れるのも、なんとなく歴史を感じさせる要素のひとつかもしれない。
この平和通りよりも少し南側を東西に走っている道は、その名も銀座通りというようだ。銀座と名の付く通りは、すべからく商業ゾーンであると決まっている。元祖が東京の銀座で、それにあやかって名付けられたものばかりだからだ。
いまでこそ、お世辞にも活気溢れるとは言い難い日立の銀座。が、それはきっとお客が郊外のロードサイド店舗に流れたからだ。ほんの数十年前、たとえば高度経済成長の時代なんか、そうとうな賑わいぶりだったにちがいない。