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「おや、これ、ちょっと変じゃないだろうか。ふつうは…」
この銀座通りを歩いて日立駅の方面に戻る。平和通りを歩いて国道6号までがだいたい15分から20分。だから、銀座通りを歩いても同じくらいの時間がかかる。おや、これ、ちょっと変じゃないだろうか。
ふつう、商店街や飲み屋街といったゾーンは、駅の近くにあるものだ。工場があって、工場と駅の間に商業ゾーン。だから帰宅途中に飲み屋街で酒が飲める。それがだいたいの工業都市に共通した構造といっていい。
ところが、日立はむしろ逆である。銀座通りをずっと東に歩き、駅の手前のけやき通りという大通りを右に折れれば、三菱重工の巨大な日立工場が見えてくる。日立なのに三菱が現れて混乱してしまうが、この工場はもともとは日立の海岸工場だ。2014年に日立と三菱重工の一部事業統合が行われたため、創業の地・日立の海岸工場の大部分が三菱の看板を掛けている。
これだけをもっても時代の流れを感じざるを得ないが、焦点はそこではない。日立市内においても最大規模といっていい大工場。それが中心にあって、駅は東に、商店街や飲み屋街は西側に。日立の町は、こういう特殊な構造をしているのだ。
もちろん、工場と駅の間にもちょっとした商業エリアがあって、「ヒタチエ」という商業ビルも建っている。ドトールコーヒーもある。また、鉱山の積み出しヤードだった敷地を再開発した文化施設「日立シビックセンター」も工場と駅の間の施設のひとつだ。
ただ、やはり本来の中心という意味でいうならば、日立の工場が中心で、東に駅で西に町。それが日立という町の形であることはまちがいない。