評判を呼んで各地で自主上映された8ミリ作品『高校大パニック』が大手映画会社・日活の目に留まり、同社で商業映画としてリメイクされることになった。

 当時大学2年の石井監督は澤田幸弘監督との共同監督、他の8ミリスタッフも製作に加わるというのは、まさに「大事件」だった。しかし実際の現場では思いがけない扱いが待っていた――。(全4回の2回目/最初から読む)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

日活が『高校大パニック』をリメイク

――日活版の『高校大パニック』はどのように始まったんですか?

石井 上板東映(※注1)で私の『高校大パニック』を見た日活の若い企画の方がいて、その方が面白いと上司に相談して、依頼が来たんです。

――これを日活映画にしましょうという提案ですね。

石井 そうです。ただし、共同監督という条件で。

――最初からそれは言われたんですね。

石井 そうです。それで狂映舎のメンバーも入ってくれと。私も完成した8ミリがまだ1本でしたし。

映画製作の内側に入ってみて分かったこと

――大学何年ですか? 

石井 大学2年生の終わりかな。だけど、一応バイトで東宝のスタジオマンといって、最初にスタジオに行って水撒きしたり、タバコを拾ったり掃除をするという係の経験もしました。同録の時には見張りもするという。

 あるいはエキストラで現場に行ったりしていたので、撮影所でどういうふうに映画を作るかという外側はもう分かっていたんです。浦山桐郎さんの『青春の門 自立篇』とかでそういうのを見てましたので。

石井岳龍監督 ©深野未季/文藝春秋

――そういう立場で撮影現場を見ていたんですね。

石井 だけど企画から上映までということは全く知りませんでした。内側に入ってみて分かったんですけれども、結局澤田組といいますか、共同監督の澤田監督のチーム、それを全部にあてがわれていたので、私は監督補みたいなものですよね。

 だけど、30パーセントぐらいは自分が入ったことによってよりよくなったんじゃないかなとは思うんですけど。とにかく、ひどい扱いを受けたというか、屈辱といいますか。