オリジナルにないいろんなドラマをくっつけられて
――脚本段階ではどうだったんですか?
石井 脚本段階では、大屋君も入って、脚本の神波(史男)さんが非常に面白い方で、『仁義の墓場』とか東映の脚本家で尊敬してましたので、一緒に仕事ができて良かったです。
ただ、私が本当に考えていたのは、殺人マシンとなった男の子と殺人マシンとなった機動隊というか、スナイパー的な警察の戦いといいますか。無機的な、ほとんどセリフのないような、クールな映画らしいアクション。ドラマとかはほとんど要らないんじゃないかと思っていた。
そういうのを夢想していたんですけど、全くそれは駄目でした。一応納得させられてましたけど、いろんなドラマをくっつけられて、「違うんだけどな」と思いながら。
――撃たれる側と撃つ側のせめぎ合いをクールに見せようみたいな、そんなイメージだったんですか。
石井 そうですね。主人公がなぜその行動に出るのか、その理由を解き明かすドラマは意味をもたないだろうと。ただ、そういう狂気がある。その狂気を力で抑えようとする者たちがいて、両者の闘争のリアルな映画的アクションや触覚的な細部にすべてがおのずと見えてくるんじゃないかと思っていたんです。
そういう思いは、次の『狂い咲きサンダーロード』(1980)とか『爆裂都市 BURST CITY』(1982)とかの時に目指したことでもありました。
――でも、日活版でも主人公が陸上部で、それを女の子が見ていて、「ずっと走っていればよかったのに」みたいな、後の『シャッフル』(1981)にも出てくる走るイメージが出ていたので、それは石井さんが書かれたのかなと思ったんですけれども。
石井 ずっと一緒に合宿しながら意見を言って、神波さんが苦戦しながら書かれたんですけど。少しは入っているかもしれません。ただ、浅野温子さんの存在感はすごかったです。彼女はやはり逸材というか。
浅野温子はすごかった
――その時にキャスティングされた方は?
石井 彼女は私の強い推薦です。確か『聖母観音大菩薩』(1977)という若松孝二監督の作品を直前に見ていて、あの人はすごいと思っていたので。そうしたら、やっぱり実物のオーラはすごかったです。