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仕事で作る映画と自主映画の違い

――ある意味黄金時代だったんですかね。

石井 黄金時代というか、最後の花火といいますか。そういう中で、のちにディレクターズ・カンパニーとして一緒になる監督ですとか、非常に優秀だなと思えるスタッフとか、とっても意地悪なスタッフとか、そういういろんな人間模様を体感したというか。撮影所の映画作りをその時に体験できたといいますか、一部始終を見ました。

 当然これでは駄目だと思うこともたくさんあったし、これはちょっと役に立つかもしれないと思うこともあったので、そこは貪欲に、屈辱に耐えて、次からの映画作りに生かそうという思いでした。

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――自主映画と違うなと感じたのはどういうところですか。

石井 当然ですけれども、労働としての映画をやっているという。

――仕事ですのでね。

石井 そうです。仕事だということ。それは常に澤田さんと話していたことです。うちらは仕事だと。で、君は学生だと。

ディレクターズ・カンパニーでプロのやり方を学んだ

――好きでやっているわけではなくて、ちゃんとお金をもらうための仕事としてもやっていると。

石井 責任ですよね。それは当然のことだと思うし。全員の生活を守るということ、それから、そこにかかったお金をいかに回収するか。癖が強い方たちが集まっていますから、いかに一枚岩として物事を進めていくか。

 それは重々分かったので、そこで私がこの作品を潰したりくさびを打ったとしても違うだろうなと思いましたので、じっくり、反面教師というところも含めて見させていただこうと。

 その反動が強かったせいか、『サンダーロード』と『爆裂都市』においては、プロのやり方を全くしなかったんです。

 私がようやくプロのやり方を学んだのは、ディレクターズ・カンパニーに入って、プロといっても尖鋭な独立プロの方たちのプロですけど、これはこれでまた違う実践的なやり方があると思った時です。

 『サンダーロード』と『爆裂都市』は完全にこっちのやり方でやると。日活のやり方じゃ駄目だと思ったので。


※注1 上板東映 上板橋駅近くにあった映画館。東映の封切り館として1957年開館しその後名画座に転向。独立プロ作品や自主映画の上映も行い、映画ファンから人気を集める。

※注2 松井君 松井良彦。映画監督。1979年『錆びた空缶』でPFF入賞。代表作『豚鶏心中』(1981)、『追悼のざわめき』(1988)など。