自分の生活も映画の体制もリアル爆裂
――編集は山川直人さんにも一部分手伝ってもらって。
石井 あと、阪本順治(※注1)君。今は日本を代表する立派な監督ですけど、その時は美術助手でした。それなのに阪本君は編集にも最初から最後の最後まで付き合ってくれました。あと、尾上君(※注2)も美術として入っていて。
林田君(※注3)は今は立派な美術監督になってますけど、当時は美術のバイトでフリークスの腕を作ってくれたり、すごい熱心で。撮影自体が連日連夜、騒乱のライブ状態で、それをきちんと映画の最終形にしていくのは大変でした。
シナリオだったり、スケジュール管理だったり、プロフェッショナルな体制が絶対必要だというのは、痛いほどその時に分かりました。分かった時にはもう遅いんですけど。自分の生活も映画の体制もリアル爆裂して壮絶な状態になって。
8ミリ時代の経験はすべてに生きている
――自主映画、8ミリ時代の経験、今の石井さんの映画作りにその経験というのはどう生かされていますか?
石井 すべて生かされているんじゃないですかね。一歩一歩積み重ねだから。
映画作りだけじゃなくて、自分が生きている、感じている瞬間が、大げさに言えば映画だと思うんです。自分が実感していることや、自分の中にある何かをもとにしないと、人の心を震わせるというのは難しいと思うので。作品というのは嘘をつけないと思うんですよね。映画は特に。
常に『狂い咲きサンダーロード』が代表作として言われて、今でも見られて「面白いよ」と言われても、なんかピンとこない時期、今日も『高校大パニック』の話をしましたが、そういうのが全然駄目な時期もありました。「私は次に作る映画に全力をかけているんだから、過去作品は関係ない」って。
でも、今はすべてが自分をかたちづくっていると思います。共に仕事をした関係者や協力者、お世話になった方々への感謝不足とか、自分の狭い意識の根本改革とか、猛省と自戒の念も込めて、全部です。良い面はより良くし、間違いは正して、矛盾は止揚していく必要があります。
常に新たな表現を模索
――常に次が自分の代表作だ、最高傑作だという思いで作っていますよね。
石井 それは、たとえばボブ・ディランが好きなので。彼はアーティストとして常に新しいことに挑戦していて、同じ歌を歌う時も今の表現としてアレンジを変えている。
あるいは、葛飾北斎という人も私は大好きなんですけど、守りに入らずより高みを目指してローリングしていく精神。常に新たな表現、自分と受け手を高めるための表現を模索している。だからこそ古びない。変わらないために変わるというか。すごく大事なことをつかんでいるけど、世の中は変わっていくし、それを見てくれるお客さんも変わっていくから、変わらないために変えるというか。