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その答えは、駅の北側に出ればすぐにわかる。門真市駅の北側には、パナソニックの巨大な工場が広がっているのだ。さらに、お隣の西三荘駅の北側にもパナソニック。こちらには本社機能も置かれている。
かの松下幸之助が大阪市内で創業し、1933年に郊外の当時は門真村に移転して以来の本拠地だ。そういえば、都市対抗野球にパナソニックが出場するときも、「門真市」の看板を背負っている。こうしたパナソニックの本社近くということから、門真市駅周辺にはビジネスホテルが建ち並ぶ。
水害に悩まされ続けた門真にその日、松下電器がやってきた
現在の門真市一帯は、淀川の南岸の氾濫原に位置している。そのため、大部分が低湿地で水害にも悩まされてきた歴史を持つ。明治時代には、低湿地という特徴を活かしてレンコン栽培が盛んになり、日本有数の産地になっていたという。
都市化のきっかけは、1933年の松下電器(パナソニック)の移転だ。戦前・戦中期の航空写真で門真市周辺を見ると、田園地帯の中に黒く塗りつぶされた地点がいくつかある。それがまさに、現在にも通じるパナソニックの工場だ。軍事的な役割も担っていたから、航空写真では黒塗りされたのだろう。
ただし、この当時は現在の門真市駅は開業していない。その代わり、現在の門真市駅と西三荘駅の中間くらいに「門真駅」を設けていた。戦後も長らくその状態が続いたが、近畿自動車道の地上部分、すなわち中央環状線が整備されると、その交差部に新門真駅として開業する。1971年のことだ。