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高度経済成長期、人口増加率が日本一だった門真の「ものすごい勢い」
この頃の門真一帯は、めざましい発展を遂げていた。1960年代後半の人口増加率は日本一だったというから、ものすごい勢いでの都市化であった。その中核には松下電器の工場があったに違いない。他はほとんどが田園地帯で、宅地化の余地が存分に残されていたことも大いに関係しているだろう。
大阪郊外で、ややもすれば純粋なベッドタウンにでもなりそうな地理的条件。にもかかわらず、松下電器、パナソニックの存在によって、門真は全国屈指の規模を誇る企業城下町になったのである。
門真市駅周辺の町の中を歩いていると、碁盤の目に整備された街路とは別に細く入り組んだ路地に小さな住宅がひしめくエリアも目立つ。これは、昭和の昔に松下電器の工場で働く人たちが暮らす住宅ゾーンだった時代の名残なのだろう。
それでいて、京阪電車に乗ったら30分ばかりで大阪の中心部まで出ることができるのだから、パナソニックとは別のベッドタウンとしても機能する。そういう意味で、なかなかよくできた町なのである。
ちょうど門真の町が大発展中だった1971年に、新門真駅は開業した。わずか4年後の1975年には門真市駅に改称し、モノレールが乗り入れたのはずっと遅れて1997年になってからである。
ちなみに、モノレールは現在延伸事業の真っ只中。さらに環状線・近畿自動車道に沿って南へ、2029年には近鉄奈良線との交差地点まで延伸する予定だという。そうなれば、門真市駅は終着駅から途中駅へ。そして、大阪東部における弱点だった南北の交通がますます充実することになる。