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「あんたなんか毒親だ」妻と子の間違いを正しているつもりだったが…モラハラ・DV加害者は変わることができるのか

『99%離婚 離婚した毒父は変われるか』中川瑛さんインタビュー

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「加害の連鎖」を止めるのは簡単ではない

――そして今回は「加害の連鎖をどう断ち切るか」というより深いテーマが描かれています。“仏の鳥羽さん”と慕われる男性の娘・奈月が、鳥羽から受けたモラハラが傷になり、大人になっても自身の感情を制御できずに苦しむシーンに心を揺さぶられました。この「加害の連鎖」についてご意見をお聞かせください。

中川 私は加害が連鎖すると思っています。よく「加害は連鎖しない」「虐待は連鎖しない」という言葉を耳にしますが、これはおそらく、虐待を受けていた人が親になる際の不安や恐怖に対して、「必ずしも連鎖するわけではないから、子供をちゃんと育てられますよ、安心してね」という励ましや応援の文脈から生まれた言葉だと思います。

父親である鳥羽から受けた加害の記憶に苦しむ奈月 『99%離婚 離婚した毒父は変われるか』より

 加害、支配、虐待、トリートメントなどの定義は時代によって変わりますが、変わるからこそ、それが連鎖していないように見えることもあると思います。自分がされて嫌だったことを、子どもにはしない、という形で、連鎖を止めることができるからです。しかし、それは学び変わろうとする意思あってのことであり、決して簡単なことではなく、連鎖自体は起きてしまうが、それを止められることもあるといった性質のものなのではないかと思います。

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 実際、自分が受けていたことが良くなかった、許せないものだと理解していても、ストレスを抱えた時にどう振る舞えば良いのか、その代替手段を知らないために、被害者自身が加害者になってしまうような連鎖もよく起きます。イライラしたら物に当たる親を見て育つと、イライラした時に、他にどんな手段でそれを緩和できるかがわからないということです。ダメだダメだと思いつつ、親と似たようなことを自分もしてしまっている……と絶望する方はたくさんいます。

 さらに難しい連鎖は、愛されていると受け取ったものを、愛しているつもりで他人に伝える際、それが加害や支配になるパターンです。普通のこと、当たり前のこと、自然なこと、家族だからこういうものだと思っていたことが、現代においては加害だということもよくあります。教育虐待などは典型だと思いますし、体型を馬鹿にしたり、「からかい」が実は人を深く傷つけるものだということがわからず、愛情だと思ってしまって、子どもを傷つけることもあります。

 しかし、どのパターンであっても、人は学び変わることができるため、連鎖もまた、起きることを前提とした上で、それを止めることもできると思います。連鎖という言葉が強すぎるのかもしれません。それは社会的学習、生まれ育った中で身につける人間関係のコミュニケーションのパターンであり、それを学習しない、影響を受けないということはありえない、と考えると当然のことであるとさえ思います。しかし、学び直すことは可能なのだ、ということが僕の思っていることです。

変容が、子どもに渡せる一番の教育

――奈月が大人になっても苦しむさまを見て、親から子へのハラスメントは被害が甚大で抜け出すのに多大な時間がかかるのだなと再認識しました。親から子へ、または大人から子どもへのハラスメントについてもご意見をお伺いしたいです。

中川 親から子へ、そして大人から子どもへのハラスメントに関して、私の考えは少し複雑です。社会の常識や環境が変化していく中で、親が子どもに伝えるべきことや、子どもたちがどのように振る舞うべきかという観点も変わってくると思います。

 例を挙げると、例えば新卒一括採用社会なのかどうかや、男女雇用機会が不均等なのかどうか、そういった環境次第で、どういった教育が適切か、子どものために良いか、というのは変わっていくと思います。その時々で、これで子供が生きやすくなるはずだと信じてとった行動が、社会の変化に伴って違ってしまう、ということは容易に想像できます。

 ハラスメントの多くは、悪意から行われていません。むしろ良かれと思って、それが普通・常識だと思って行われています。そして、その時々の普通を次の世代に引きつごうとするとき、後から見て加害的な振る舞いが許容されていることはよくあります。このような構造になっているように思います。

鳥羽は自分の行動を「正しい」と思っていた 『99%離婚 離婚した毒父は変われるか』より

 その時その時で正しいと思って行うことが、後から見て問題があったとされることは、今後も起こり得ると思います。その危険性を認識し、学び直しや他者への相談を重要視する必要があると考えます。自分の時代はこうだったけれども、これからは違うのかもしれない……という不安や疑問を抱えながら、子供と接することが重要です。

 しかし、そのためには社会的な支援や相談ができる環境の整備も同じように必要です。個人にだけ責任を押し付けるのは無理があります。子育て支援に典型的なように、そういった不安を共有したり、相談したりできる場所を作っていく必要がありますし、政策的に支援される必要があるでしょう。

 一生懸命に学んだとしても、後から批判されることもあるでしょう。その時には、批判の背景にある痛み、傷つき、悲しみなどに目を向け耳を傾けることが大事だと思います。ハラスメントはしたくてしているわけではない。だとしても傷ついた人はいる。その人の傷つきを知ろうとし、ケアしようとし、再発をしないように、これから関わる人との関わりを変えていこうとすることが求められていると思います。

 なぜなら、その変容が、実は子どもに渡せる一番の教育になるからです。人は学び変わることができる、間違いを認め、謝り、言動を変えていくことができるということが、他者と関わる上での一番の信頼となり、また、自分も間違えてしまった時に学び直そうと思える勇気につながるからです。