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 このような状況の中で、我が国の高等教育をどうするのかというのは大変重要な問題です。他方で、我が国の「大学行政」は民間の組織である学校法人・私立大学では当然統制も強制もなかなか効きませんから、本来であれば税金としての交付金や科研費のあり方だけでなく、政府が各民間に対して研究費を大学に落とさせるための仕組みもまた考え直す必要はあるでしょう。

「貧乏だから、国立に」というのは富国強兵のころの残滓

 そして、授業料の問題は特に、学生一人ひとりの人生に関わるものですから、本来国公立が担ってきた貧困家庭でも優秀な子どもに門戸を開く仕組みを維持するのならば、やはり成績優秀者に対する特待制度(大幅な授業料減免)と給付型奨学金が必要になります。

 場合によっては、AOなどの選抜型入試や学校推薦だけでの入学は控え、一発テストの点数も加味する方法で日本全国の多様な学生を公平に入学させられる仕組みを模索しなければならないかもしれません。あまり書きたくありませんが「君、どうやってうちの大学に入学してきたの」っていうレベルの学生は、残念ながらそのほぼすべてがAO入試で門をくぐってきた諸君であることは特筆しなければなりません。

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 しかし、本来であれば学振であれ奨学金であれ、大学とは別に篤志的な財団が運営することが主で、ここは大学固有の機能として優秀な学生の選抜には主体性を持って取り組むべきだと思うんですよ。「貧乏だから、国立に」というのは、それこそ富国強兵のころの残滓であって、国の方針で求める子どもを選抜していた時代の名残をいつまで引っ張るんだというのが本音です。

 蛇足ながら、日本は初等中等教育は非常にうまくいっていて、国際的な学力比較であるPISAではゆとり教育の懸念をものともせず世界上位に入っているのは、紛れもなく日本の公教育の仕組みの良さとそれを支える過酷な教員教師の皆さま方の努力の賜物であることは間違いありません。