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さっそく路面電車に乗り込む
路面電車が主役を張っている町は、富山だけではない。たとえば、広島。広電の路面電車は、広島の市内交通の要になっている。
しかし、広島駅と路面電車ののりばはやや離れている。ちょうど広島駅が工事中という事情もあるにせよ、新幹線を降りてから路面電車に乗るまで10分ほどは見ておかねばならない。その点、富山はほとんど乗り換えに要する時間を考えずに済むのだ。これ、なかなかに便利なのではなかろうか。
だからさっそく路面電車に乗り込んだ。富山の市街地の中心は、駅の南側。バスのりばを中心にしてローカル私鉄の富山地鉄ののりばが入る駅ビルなどが取り囲む広大な駅前広場を持ち、その向こうにはいくつものビジネスホテルが建ち並ぶ。
路面電車はそんな富山駅の駅前を抜けて南へ。中心市街地をぐるりと取り囲むように環状に線路が敷かれている。
繁華街を抜け県庁の脇で小さな川を渡る
駅周辺の繁華街を抜け、富山県庁の脇を通ったところで松川という小さな川を渡る。訪れた時期はちょうど桜の季節の終わり頃。まだまだ松川沿いには桜が残っていて、観光客をぎっしり乗せた遊覧船が浮かんでいた。松川の南側には、富山城跡がある。
富山城は、江戸時代を通じて前田氏富山藩の藩庁が置かれていた城だ。江戸時代の初め頃、加賀藩三代目藩主の前田利常が隠居するにあたり、次男の利次に越中10万石を分け与えたのが富山藩のはじまりである。それ以前にも信長の家臣・佐々成政が富山を治めた時代などもあったが、本格的な都市としての歴史は前田氏の富山藩城下町にスタートしたといっていい。