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実はそのほとんどが1度焼失している市街地

 富山の市街地は、実は戦争で市街地のほとんどが焼失するという大空襲の被害にあっている。そのため、近世の面影を留めていたであろう戦前と、いまの富山の町並みは本質的に異なるものになった。

 富山駅を中心にして放射状にメインストリートが延び、松川の南側にお城や桜木町の歓楽街があるような構造は、戦後になって形作られたものだ。

 ただ、そうした中でもやはり今も昔もお城が中心ということは変わらないのだろう。富山城の少し南側には、東西に延びるアーケードの総曲輪という繁華街がある。

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 そのアーケード街とひとつ南の大通り・平和通りに挟まれた百貨店の大和富山店は、富山の中心市街地のランドマークだ。富山駅の高架下から出た路面電車は、もちろん大和の目の前も走ってゆく。

 お城を挟んで駅とは反対の南側に中心繁華街。そして、そのすぐ北側(お城の東側)には、「ハッスルキャバレー ポパイ」などというネオンが煌めく桜木町の歓楽街。

 訪れたのは真っ昼間だから、さすがにネオンは煌めいていなかったし、人通りもまばらだった。が、総曲輪の繁華街ともども駅からはだいぶ離れたこの一帯が、いまもって富山の中心的商業ゾーンであることは変わらないようだ。

 

 もちろん、さすがにいまでは駅の周囲にも繁華街が形成されている。駅前のビジネスホテルなどに宿をとった出張ビジネスパーソンや旅人は、駅の近くにある飲み屋に入れば富山湾の海の幸を堪能できて、そこで充分にこと足りる。ご当地歓楽街巡りでも嗜んでいない限りは、わざわざお城の近くまで遠征する必要がない町が形作られている。

 しかし、それでも駅から離れたお城の南側の繁華街がいまも健在だということは、富山の町の大きな特徴であることにちがいない。いったいなぜ、富山の町はこうした構造をしているのだろうか。