なぜ富山の路面電車はあれほど“存在感”があるのか
富山の路面電車は、まさにそうした旧来からの市街地と新幹線のターミナルでもある富山駅を巧みに結ぶ役割を果たしている。路面電車は戦後多くの町で廃止されて姿を消したが、富山では生き残り続けた。それが結果として、神通川が駅と市街地を隔てていた時代からの町の形を残すことにつながったのかもしれない。
そして、どちらかというと都市化の遅れていた駅の北側にも、路面電車は進出している。富山駅から海沿いまで走っていた富山港線というJRのローカル線を引き継いで改修し、2006年に開業したのが富山ライトレール。2020年には富山地方鉄道に吸収されて、駅南側の中心市街地を走っていた市内の路面電車と一体化された。
富山市が公共交通を軸にしたコンパクトシティを推進してきたことは、よく知られるところ。駅の南北に広がる路面電車網は、まさにその中核を担う。歴史的にも、そしていまも将来も。富山の町は路面電車によって支えられている町なのである。
「富山の薬売り」が広まった理由
そんなこんなで、市街地をぐるりと一周して富山駅前に戻ってきた。富山駅前の一角には、薬売りのオブジェがある。
富山といえば、全国を行脚しながら薬をお客の自宅に置き、使用した分だけ代金を回収するという独自のシステムを編み出した富山の薬売り。洪水の影響もあったのだろう、江戸時代の富山平野は生産が安定せず、経済的には本家筋の加賀藩に依存せざるをえなかった。そこで、二代目藩主の前田正甫が奨励したのが製薬で、富山の薬売りが定着したという。
そんな歴史を駅前で学びつつ、再びの富山駅。富山駅に新幹線が乗り入れてから、もう9年が経った。
新幹線乗り入れに先立って地上にあったホームは高架化され、富山地方鉄道とつながっていたレールも剥がされた。富山地方鉄道は、立山や黒部、宇奈月温泉へと向かう富山県のローカル私鉄だ。
富山地鉄の路線図を眺めていたら、常願寺川を渡った少し東に越中舟橋という駅を見つけた。なんでも、北陸では唯一の“村”舟橋村の玄関口だという。ここまで来たら、ほんの少しだけ足を伸ばして、北陸唯一の村も訪れてみることにしよう。
写真=鼠入昌史