1ページ目から読む
2/4ページ目

アパートに緒方が長男と次男を連れて押しかけてくる

(10)曽根アパート20×号室

 松永は96年7月20日頃に、裕子さんに対して緒方を姉だと紹介。裕子さんは松永が婚姻を進めるために家族を紹介したのだと誤信する。その後、9月13日に松永の勧めで裕子さんは2階建てアパートのこの部屋の契約を申し込む。そして9月25日に仮契約を結ぶが、その前日の24日に松永は、裕子さんの3人の子供のうち、長女は前夫に渡し、長男は実家に預けたままにすることを彼女に納得させ、当時3歳の次女だけを同居させることにしたのだった。

 6畳と4畳半、それに台所という2DKのこの部屋に、裕子さんが次女を連れて引っ越してきたのは10月21日のこと。その際には松永もいて、裕子さんはこれから3人での新生活が始まると期待した。しかし、翌22日には緒方が長男(4)と7カ月前に生まれた次男(0)を連れて、同アパートに押しかけてくる。

 松永は「実家の母が死に、姉(緒方)は母堂様になったので、6畳和室で子どもたちと一緒に寝る」と言って、彼ら4人が6畳に、裕子さんと次女は4畳半で寝る生活となったのだった。

ADVERTISEMENT

中学生時代の松永太死刑囚(中学校卒業アルバムより)

裕子さんが曽根アパートの2階窓から飛び降りて逃走

 松永が豹変したのはその1週間あまり後の10月下旬頃。福岡地裁小倉支部で開かれた松永らの裁判の、検察側冒頭陳述には以下のようにある。

〈いきなりその顔面を平手打ちにし、その髪の毛をわしづかみにして振り回し、その着衣を引きちぎるなどの暴行を加え始め〉さらに、〈被告人緒方に命じて、電線に金属製クリップを装着させた電気コードを用意させ、同クリップで被害者乙(裕子さん)の指、腕、脇の下及び耳等を順次挟ませた上、同被害者に対し、延々と、その身体に通電させる暴行を加え続けるなどした〉

 そうした虐待は97年3月中旬まで続けられた。松永らは3歳の次女にも通電の虐待を加え、なにかあればまた娘に通電すると脅された裕子さんは、仕事の給料と、親族や消費者金融への借金を搾り取られていく。

 そして97年3月16日の午前3時頃、裕子さんは曽根アパートの2階窓から飛び降りて逃走した。その際に腰部及び背部を地面に強打し、入院加療約133日間を要する、第1腰椎圧迫骨折及び、左肺挫傷等の重傷を負っている。しかし、松永らに激しい恐怖を覚えた彼女が、警察に駆け込むことはなかった。

 現在も曽根アパートはそのままの姿で残っている。北九州市の外れにあるこの古びたアパートは入居者が少なく、裕子さんらがいた20×号室は現在空き室となっていた。当時から住んでいる同じアパートの住人は、事件については、彼らの逮捕後に記者が来たから知っているが、松永らの姿を記憶しておらず、悲鳴なども耳にしたことはなかったと語る。裕子さんが飛び降りた2階の窓は、1階にひさしこそあるが、そこまでには落差があって着地は難しく、下から見上げるとかなりの高さが感じられた。