いま日本映画界を第一線で支える映画監督たちには、8ミリ映画を自主制作し、才能を見出され、商業映画にデビューした者たちが少なくない。
そんな日本映画界の「青春時代」を、自身も自主映画出身監督である小中和哉氏が聞き手として振り返る、映画ファン必読のインタビューシリーズ第2弾は、傑作サスペンス『ゴールド・ボーイ』が話題の金子修介監督(全4回の1回目/2回目に続く)。
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日活撮影所で助監督を経て監督デビューした金子修介監督には自主映画出身監督というイメージを持っていなかった。けれど学生時代は8ミリ映画を撮られていたとご自身でnoteに書かれていたのを読み、その考えを改めた。8ミリ自主映画と撮影所の両方の世界を知る金子監督ならではのお話をお届けしよう。
かねこ しゅうすけ 1955年東京都生まれ。高校時代から8ミリ映画の製作を始める。78年東京学芸大学卒業後、助監督として日活に入社。84年『宇野鴻一郎の濡れて打つ』で監督デビュー。
主な監督作品に『1999年の夏休み』(88年)、『就職戦線異状なし』(91年)、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95年)、『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)、『DEATH NOTE デスノート』(06年)、『信虎』(21年)、『ゴールド・ボーイ』(24年)など。
大学3年で製作した青春群像劇『プリズムタワー』
――持ってきていただいた8ミリ映画を上映しようとしましたが、スプライシングテープ(※注)が劣化していてカットごとにフィルムが流れてしまい、ちゃんと見ることができなかったのが残念です。幸い1本だけなんとか見ることができました。
金子 『プリズムタワー』というタイトルですけど、東京学芸大学3年の時に作りました。大学の時計塔みたいな塔を象徴的に使って、いろんな学生たちの群像劇をやろうとしたんです。
――タワーが時々出てきましたね。
金子 広すぎる学校の中でドラマの象徴として。自分のその時の焦燥感みたいなものを描こうとしてました。
――後半金子さんが演じる登場人物が物語の中心でしたね。
金子 ほんとにね。こんなだったかという感じで。
――金子さん、ちゃんと芝居してました。
金子 あの頃、映画を作る時に「自分をさらけ出すというのが大事だ」みたいになっていたんじゃなかったかな。
覚えているのは、神代辰巳監督の「てめえのロマンをさらけ出せ」という言葉があって、それだったのかな。脚本を書いているうちに、どんどんそういうことになっていった。
――金子さんの家族の役で本物の金子家も出演している。お父さんが教師をしている設定は、実際そうだったから?